kotaの雑記帳

日々気になったことの忘備録として記していきます。



岩合光昭の世界ネコ歩き2:普通じゃ見れない猫の表情と背景が優れものの写真集。見応えあります。

  世界的な動物写真家である岩合光昭さんが世界の猫を撮った写真集「世界ネコ歩き2」。

  猫は誰が撮っても可愛いので、プロカメラマンにとっては難しい被写体。より可愛く撮るコツはなんだろうと興味津々で購入した。

  中を見てみると、さすが岩合さん。普通の写真では見れないような猫の表情と、背景が組み合わさっており、面白い。私は、ジャンプする猫が真剣な顔をしている写真が一番好き。見応えのある写真集でした。

 

岩合光昭の世界ネコ歩き2

岩合光昭の世界ネコ歩き2

 

 

 

小説のストラテジー(井上亜紀):芸術を楽しむとは、表面を味わい尽くすこと

  本書は、小説を楽しむとはどういうことかを記した本である。その焦点は、娯楽小説ではなく芸術小説に向けられている。

  皆さんは、村上春樹の小説を面白いと感じているだろうか?意味がわからないと思って読んでいる人はいないだろうか?私は、よく分からないなと思いながら読んでいる。羊をめぐる冒険、スプートニックの恋人、どれもよく分からない。

 

  組織された感覚的刺激によって快楽を引き起こすのが芸術の機能である。

  小説の1シーン、1シーンを個々に楽しむだけでなく、それらが全体としてどのように構成されており、その構成において各シーンがどういう役割を果たしているのか、こういったことを読み解きながら快楽を得るのが芸術である。これが著者の考えだ。

 

  ただ、そうした体験が成立するにはひとつ、条件があるでしょう。受け手の側からの積極的な関与です。

  読み解くという作業は結構しんどいもので、受け手側(読者)の能動的な活動が無ければ芸術は成立しないと言うのです。

 

作品を挟んで、表現者と鑑賞者の間で、ある種の遊戯的闘争が展開されるのが芸術ですが、

  受け手側の能動的な活動は、「闘争」という表現で強調されています。

 

いわば読解は演奏です。

本の読み手は、演奏を聴く観衆ではなく演奏者として能動的な活動を要求されます。

 

  受け手に対しても読み手に対しても、従って、まず要求されるのは表面に留まる強さです。作品の表面を理解することなしに意味や内容で即席に理解したようなふりをすることを拒否する強さです。

  小説は書かれている文字が全てであり、これを「表面」と著者は呼んでいます。「表面に留まる」とは、小説の作者が誰だとか、彼の信念や生い立ちなど、小説の背景にあるものを一切除外して、文字だけを見ることを意味しています。

  絵に例えましょう。美術館に行けば、ゴーギャンやモネ、ゴッホなどの展示会で、彼らがどういう生い立ちで、交友関係がどうであって、誰からどんな影響を受けたかを解説しています。こんな解説を読んで分かった気になってはいけないということです。ただ絵だけを見て、あながたその絵から何を読み取るか、それだけが大事なのだと著者は言います。

 

 

  次に、小説を楽しむとは何を楽しむことか、著者は話を進めます。

我々が反応しているのは記述の運動であって、プロットでも物語でもないのかもしれない。

 

物語が必要なのは、そこから記述を生み出すためです。

「物語」と「記述」という二つのキーワードが出てきます。「物語」はプロットとも呼ばれるもので、お話の筋書きです。例えば、ジブリ映画の「風立ちぬ」では、第2次世界大戦前、飛行機の設計技師の男が結核を患う妻を心配しながら零戦の開発を進める、これが「物語」です。

  一方、「記述」とは二人が関東大震災地震が起きた時の電車の中で出会い、数年後再開する。男が紙飛行機を飛ばし、女がそれを捕まえ、それをキッカケに心がつながる。こういったものが「記述」です。

  物語自身は目新しいものはなく、すでに出尽くしていると著者は言います。物語自身はどこにでもあるありふれたもので、その物語を如何に「記述」しているかを読み解くことが、小説を楽しむ事である。

 

  小説だと分かりにくいかもしれないが、これが絵や写真だともう少し分かりやすい。「物語」を被写体に置き換えると、可愛い女の子、壮大な山、壮絶な事故現場等、被写体は出尽くしている。その被写体をどう表現するかをカメラマンは競っており、物珍しい被写体探しを競っているわけではない。

  例えば、世界的な動物写真家である岩合光昭さんは猫写真も撮っている。彼の猫写真は被写体は平凡だけど、その背景を工夫することで面白い写真に仕上げている。下の「世界猫歩き2」の表紙では、砂浜と猫の組み合わせが面白い「記述」となっている。

 

岩合光昭の世界ネコ歩き2

岩合光昭の世界ネコ歩き2

 

 

まとめ

  芸術を味わうとは、「表面」を味合うことで、そのためには受け手側の能動的な働きかけを必要とする。どんな「記述」がされており、一つ一つの「記述」が全体としてどんな構造を作っているのか、その構造において細部がどのような役割をしているのかを解き明かすのが、芸術を楽しむということである。小説においては「記述」をするために「物語」を必要とするが、楽しむのはあくまで「記述」である。

 

小説のストラテジー (ちくま文庫)

小説のストラテジー (ちくま文庫)

 

 

 

有川浩の「シアター」:情熱の劇団と距離を取る二人の淡いロマンス

  有川浩の「シアター」には二種類の人間が登場する。情熱を持った人と、常識を持った人だ。

  劇団シアターフラッグのメンバーは情熱を持って芝居を作り上げていく、「作れる」人たちだ。その主催者の春川巧は甘えん坊で実務能力はゼロ。劇団メンバーも芝居への情熱はあるが、劇団の儲けには関心もなければスキルもない。

  赤字が積み重なり存続の危機に直面したシアターフラッグ。巧が頼ったのは兄の春川司だった。

  春川司は会社員の常識の人。経済活動として劇団を見て“金は正義だ!”と言い放つ。儲けるのは会社員としての常識である。

  成田千歳はプロの声優。オドオドした性格の子供だった彼女は、周りの大人の求めるものを察っするのが上手く、大人が勧めるままに声優活動を続けプロになった。やりたくて声優を始めたわけではないことに、成田千歳は後ろめたく思っていた。

  劇団シアターフラッグに入団した成田千歳は、その性格から劇団メンバーに対して心理的な距離をとっていた。彼女が距離を縮めたのは、劇団の外部の人間である春川司だった。

  彼女が司との距離を縮めるきっかけとなるシーンが、この小説の見どころだ。「大人って汚い、、、」彼女が司に放った言葉が、始めて彼女が本心をみせたシーンだ。

  成田千歳の気持ちは司への恋心に発展するのか?成田千歳を含めて劇団員と距離をとって付き合う司は、成田千歳に特段好意を持たない。この二人はどうなっていくのか?有川浩らしい軽妙な文体でお話は進む。

 

 

シアター! (メディアワークス文庫)

シアター! (メディアワークス文庫)

 

 

 

ユニクロ感動パンツは、肌がサラサラ

  ユニクロの感動パンツ(コットンライク)を買いました。

  面白いパンツです。汗をよく吸います。暑い日でも足の肌はサラサラしています。

 おまけに洗濯した後にシワになりません。楽です。

映画「リズと青い鳥」:居心地の良い場所と飛べる場所が異なる葛藤を淡々と描いている

 童話「リズと青い鳥」をモチーフにして、高校吹奏楽部の女子二人の葛藤と決心を描いた映画。

  居心地の良い場所と飛べる場所が異なる。そんな葛藤の中で、童話で孤独な少女リズは大好きな青い鳥を自分の元から解き放つ。

  吹奏楽部の孤独な少女みぞれは、卒業が近ずく中で大好きな友人のぞみに何を求めるのか?

 

  事件らしい事件はなにも起こらず、淡々としたストーリーが淡い映像の上で進んでいく。美しい映像を楽しみつつ、リズと青い鳥はどうすればハッピーエンドとなるのか考えることが、この映画の醍醐味であろう。

 

liz-bluebird.com

 

おまけ

  私は新宿ピカデリーでこの映画を観ました。映画館は混んでいました。こんな淡々とした映画をこれほど多くの人が観に来ているのは意外でした。

  一方、新宿ピカデリーで映画を見るのは久しぶりでしたが、ここは椅子が広く前後の間隔も広いのでとても快適。

有川浩の「阪急電車」:ローカル列車を舞台にゆるく繋がる短編集

  阪急電車は、京阪神地区の人には馴染みがあるでしょう。しかし、今津線に乗ったことがある人は少ないのではないでしょうか。今津線は、阪急電車の中で飛び抜けてローカル列車の雰囲気を持った片道15分の短い路線です。

  そのローカル列車の中で繰り広げられる短編8つ。今津線の8つの駅毎に、一つの短編が綴られる。そしてそれぞれの話がゆるく繋がりを持っている。このゆるい繋がりを楽しむのがオススメの読み方。

  その短編8つは、数ヶ月の時間を経過して、もう一度綴られる。

 

  合計16編の短編がゆるくつながり、それが今津線の駅とも繋がっている、この繋がりを是非楽しんでほしい。

 

 

阪急電車 (幻冬舎文庫)

阪急電車 (幻冬舎文庫)

 

 

ガラパゴス日本の女性専用車両

  日本の狭い考え方を揶揄して「ガラパゴス」と評されるものがあります。

  単一民族であるが故の島国根性や、英語が読めない語学力に故の情報格差から、日本の制度や考え方がこの世の全てと信じる心理があるためです。簡単に言えば、日本人の多くは視野が狭い、という事でしょう。

 

  今朝、NHKのTV番組「おはよう日本」を見ていると、電車の女性専用車両の話題が取り上げられていました。要旨は3つ。

  • 痴漢は日本だけの犯罪ではなく、世界の都市で一般に見られる犯罪である
  • 女性専用車両の導入に対して、イギリスでは女性が反対している
  • 日本の痴漢犯罪の件数は、女性専用車両を導入後も横ばい

 

  痴漢犯罪を防ぐという目的に対してその手段を考えた場合、「女性専用車両」という手段は不適切だとイギリス人女性は考えている点が興味深い。反対メッセージとして“セクハラを防ぐために、オフィスを男女で分けるのか?”と、よく思考するよう促すメッセージも番組で紹介されていた

www.bbc.com

 

  先日、日本で女性専用車両をに男性が確信犯的に乗り込み(女性専用車両は男性が乗ることは認められている、ちょうど優先席が善意によりお年寄りに席を譲るのと同じ。)、車内の女性が暴れて電車を止めた事件があった。このときネットでは女性専用車両の是非について議論があった。

matomame.jp

 そこで取り上げられなかった点として、「女性専用車両」という手段の欠点を次のように思っています。

 

車内で暴れた女性は「女性専用車両」という既得権益を拡げたかったのではと、邪推しています。

 

  痴漢犯罪を防ぐ手段として、車内に防犯カメラの設置が始まっています。これも監視されている気持ち悪さがあり、手段として上等だとは思いません。しかし、「女性専用車両」と「防犯カメラ」のどちらの手段が良いか?考えるきっかけになる点は良いことだと思います。