kotaの雑記帳

日々気になったことの忘備録として記していきます。



KICHIRI新宿店はスタッフの応対が気持ち良い

 JR新宿駅東口を出てすぐのミラザ新宿4FにあるKICHIRI新宿店に行ってきました。

 久しぶりの友人が新宿に出てくるので、分かりやすい場所で個室のある店を探したところここにしました。三連休の中日に開店の5pmに飛び込みました。

 店内は綺麗、料理の味は普通に美味しい、店員さんがよくトレーニングされていて応対がとても気持ちが良い。

 人気の店らしく、開店前に一番に並んでいたのですが、予約で席が埋まりかけており、後数席しか残っていないとお店のスタッフに言われました。予約した方が良さそうです。

 

鈴波の焼き魚定食は、並んでも食べたい

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鈴波 焼き魚定食

 六本木の東京ミッドタウンにある鈴波さんで、焼き魚定食(マグロの山かけ付き)を食べました。

 とても美味しかった。こういう店で美味しいものを食べると、安い居酒屋で飲むのがバカらしくなる。より安い値段で滅茶苦茶美味しいものが食べられます。

 本日の魚はさわら。味醂粕につけた魚は旨味が増している。味醂粕の風味を消さないように魚を焼くのも技術。抜群の味でした。

 12時前にお店に行ったにもかかわらず、店先には待ちの列ができていて人気店であることが伺えます。並んでも食べる価値はありますよ。

女性の社会進出は高いのと低いので、どっちが良いのか?

 男女共同参画についての話を聞いた。要するに女子も正社員となって働きましょう。キャリアップ、つまり昇進を目指しましょう(女性の社会進出促進)、という話だ。

 これはずいぶん議論を呼ぶ話題だと思った。正義の思い込みをさせる話題だから。

 

 話の内容はこうだ。

  • なぜ女性の社会進出が必要なのか?
    日本は人口が減っていてこのままでは社会が成り立たない。働く人を増やす必要があるから。
  • 海外と比べて、日本は女性の社会進出は少ない。
    統計を見ると、企業幹部の女性割合と政治家の女性の割合は欧米各国と比べて少ない。
  • なぜ日本の女性の社会進出は少ないのか?
    理由は二つ。(1)男は外で稼ぎ、女は家を守るという意識が、日本は根強い。(2)上昇志向(出世意欲)が、女子は男子と比べて低い。これらをまとめて無意識のバイアスと呼ぶ。

 

 この話の難しい点は、女性の社会進出を促進する理由を、個々人の生き方の理想をかなえるためではなく、日本社会のためとしていること。日本社会のためなら、出世したくない女子を厳しいビジネスの世界に叩き込んでいいのか?と疑問に思う。

 次に出世意欲が低い女子がいたとして、彼女の背中を押すことは彼女に苦痛を与える。苦痛を与えてまで彼女の望まない生き方をさせることは正しいのか?と疑問に思う。(無意識のバイアスが、彼女の出世意欲の低い理由であっても、今の彼女の理想は出世することではないことに注意)

 最後に、「男は外で稼ぎ、女は家を守る」という意識を持つことは悪い訳ではない。これは文化であり、文化に良いも悪いもない。それなのに、”古い習慣に引きずられて「男は外で稼ぎ、女は家を守る」という意識が残っている。”のような表現を多々見かける。これは詭弁である(”古い”というネガティブワードを使う点)*1

 

  一方で、成功体験のある女性にとって、出世意欲の低い女子は無意識のバイアスに絡めとられた救うべき対象に感じられるかもしれない。すると議論はややこしくなる。

 

 個々人が出世したいかどうかは個々人に任せる。周りの人は、個々人の多様性を認め、女性だから男性だからと先入観で判断しない。こんな態度が良いのではないかと思う。

 

おまけ

 女性の社会進出に関わる記事で「無意識のバイアス」という言葉がよく出る(ネット検索して欲しい)。ノーベル賞を受賞したダニエルカーネマンの研究で示されている通り、人間は必ず「無意識のバイアス」がある。それは生物学的な部分に起因していたり、文化的に起因していたりする。ジェンダーの違いに関する「無意識のバイアス」に気を取られると、他の「無意識のバイアス」に気づくことが難しくなる。

 

*1:詭弁と言えば「女性の社会進出が進んでいる海外では、、、」のように女性の社会進出率が高いことが良いことのように表現することも詭弁である。

中東タンカー護衛「有志連合」を、ジャイアン流にいえば「お前、俺とアイツのどっちの味方なんだよぉ!」

 ジャイアント約束をした。その約束をジャイアンを守らない。だから約束はご破算だと思ったら、「お前は約束を破っただろ!」とジャイアンが因縁をつけてきた。

 

 アメリトランプ大統領がイランに対してやっていることは、このジャイアンと同じだ。つまり、

 (1)トランプ大統領はイランとの約束を破った。

www.bbc.com

 

 (2)イランはトランプ大統領との約束をご破算にした。

www.bbc.com

 

 (3)トランプ大統領はイランに因縁をつけた。

www.bbc.com

 

 

 

さて、この度トランプ大統領は、有志連合でイランに対抗することを呼びかけた。これは、日本は困った。日本はイランと友好関係にある(石油が大切な日本は、産油国のイランとの関係を大事にしている)。トランプ大統領は日本にお友達のイランを裏切れと迫っている。ジャイアン流に言えば、「お前、俺とアイツのどっちの味方なんだよぉ」と日本に迫っている。日本は、お友達とジャイアンのどっちを取るのか?

headlines.yahoo.co.jp

 

 

 

日本以外の国はどう思っているかというと、ジャイアンが破った約束(核合意)を守らせる手立てがなくて困っている状態。

欧州も有効な対応策は示せず、核合意を救うための見通しは立たなかった。 

www.nikkei.com

 

 まとめ

 ジャイアンが約束を破った。約束相手がそれなら俺も約束を守らない、と約束自体が壊れた。しずかちゃんや出木杉君は、「困ったわぁ、ジャイアンを止めることはできないわぁ、壊れた約束を元に戻せないかしらぁ」と言っている。

 アメリカ(ジャイアン)とイラン(約束相手)の核合意(約束)を巡る状況をこのように見ている。周りの国は「こまったわぁ」でどうしていいのか分からなくて傍観していると、「お前は、俺とアイツのどっちの味方なんだよぉ」とジャイアンに日本やヨーロッパの国は問い詰められている。

大人だから七夕に願う

  今日は七夕。短冊に書くお願いは何にしようか?

  大人になるにつれ、願いがショボくなっていないだろうか?「自分の子供が立派に育つのが私の夢です」のように、自分の願いを他人に背負わせていないだろうか?

 

  小さい頃の願いは、何かすごい者になることだった。プロ野球の選手になるとか、歌手になるといったように。具体的で、実現性の殆どないものだ。その頃は実現性なんか全く気にしていなかった。なりたいかなりたくないか、憧れているか憧れていないか、これが願いの根っこにあった。コミックワンピースの主人公ルフィが「海賊王にオレはなる」と言っているのと同じ純粋さがあった。

  大人になるにつれて自分の限界が見えてくる。無理なことが増えていく。そうして、自分の願いがショボくなっていく。幸せな生活がしたいとか、みんなの役に立ちたいとか、具体性のない当たり前で出来そうなことに縮退していく。

  願いがショボくなると、3つのことが起こる。

  一つ目は、他人の願いを「現実を見ろ」「無理だ」「無謀だ」「リスクがある」と否定するようになる。自分のショボさのレベルで他人を測るためだ。

  二つ目は、頑張って結果を出した人に向かって「感動をもらった」「勇気をありがとう」と受け身な発言をするようになる。自発的に感動したり勇気を持ったりできないため、他人にもらわないといけないようになっている。その根っこには、だれか私を感動させてくれ、という受け身なマインドがある。

  三つ目は、自分の子供や仲間に自分の願いを背負わせようとする。「〇〇ちゃん、あなたの夢はなんなの?」って聞いちゃうタイプ。あるいはビジネスや大学生にいるのは、ハッカソンやピッチ大会を開催して、人と人をつなげる共創の場を作りたい言うようにタイプ。主人公から降りた脇役マインドが根底にある。

 

  学生でお金がないとき、あの服を買えば、あのスマホを買えば、あれを手に入れれば、自分は周りに注目される何かになれる気がした。就職して金を稼いで買えるものが増え、欲しかったものを手に入れる度、服やスマホや何かものを手に入れても自分は何も変わらないことを知る。そうして願いが叶わないことを少しずつ思い知らされる。

  大人になるとは自分の限界を思い知ることだ。

 

  だからこそ、大人になって大きな願いを言えるのはカッコいいことだと思っている。

「チルドレン」(伊坂幸太郎)はあっさり軽いストーリ

チルドレン (講談社文庫)

チルドレン (講談社文庫)

 

 

 強烈な個性を持つ男、陣内。盲目の紳士、永瀬。大いなる凡人、武藤。サブマリンに登場する キャラクタのお披露目的小説がチルドレン。

 短編集だけあって、各ストーリーはあっさりしていて軽い。面白いトリックを中心にストーリが組まれており、あっさりとスムーズに読ませる筆力に感心する。

 続編のサブマリンへの導入編にも感じられる。

 

 本書に収められている「イン」は、盲目の永瀬の1人称でつづられた短編。小説の書き方には3人称と1人称がある。1人称は、主人公の視点を通してストーリを展開していく手法だが、盲目の主人公の視点とは何かを想像すれば、その面白さが分かる。

 ひのき、だろうか。

 ベンチを触り、まっ先にそう思った。

 「イン」の出だしである。盲目の主人公は、ただ座るという動作においても、まずベンチの高さを手で触って確認することが読み取れる。

 

 盲目の永瀬は匂いや音や風に敏感である。

彼女が、がさごそと手を動かす。小さく風が起きた。ハンカチを広げているんだろう。

永瀬は、隣でハンカチを広げる風を感じ取れる。この力を使って、彼女のバックが置き引きされそうなことに気づく。

 

 そんな匂いや音や風に敏感な永瀬だが、最後に恋人の優子にからかわれる。

いつの間にか当たっている日差しの暖かさに、気が緩んでいたに違いない。心地よさに任せて、一息に飲み込んだ。

 それから、むせた。

「これ、コーラだ」せき込みながら、優子に訴える。僕はアイスコーヒーのつもりで飲みこんだのに、炭酸が飛び込んできた。

 優子は声を出さなかったが、きっと口を開けて、笑っていたんだろう。してやったり、という空気が漂っていた。

 さすがの永瀬も、恋人優子には気が緩んているという微笑ましさを象徴するエピソードで小説が終わる。ハッピーエンドだ。

 

 

kota2009.hatenablog.com

「サブマリン」(伊坂幸太郎)は読書感想文の題材に最適だ。

サブマリン (講談社文庫)

サブマリン (講談社文庫)

 

 

 読書感想文を書くのにピッタリの本。そう思った。

 

読書感想文では感想を書いてはいけない

 読書感想文で、好き・嫌い、良い・悪い、といった感想を書いてはいけない。これを分かっていない人は案外多い。

 漫画「ワンピース」を例に考えてみよう。主人公ルフィーが仲間のために戦う。その姿に感動した。正直に感想を書けば、「仲間を守るルフィーの姿が好きです、感動しました。」と書くだろう。まともに考えれば、そこで文章は止まる。好き・嫌いは理屈ではないからだ。しかし、感想文の出題者が求めているのは、「なぜ好きなのか?」「あなたの仲間が危機に陥ったとき、あなたはルフィーのように命がけで助けるのか?」という問いに答えることである。普通の人間であるあなたは、「なぜ好きなのか?」と問われても答えられない。ましてや、あなたの仲間が命の危機に陥ったりすることはまずないので、答えられない。

 感想文で求められているのは、あなたは何故好きなのか?あなたならどうするか?に答えることだ。

 

小説はストーリを愉しむものではない

 小説を読むとき、そのストーリを愉しむことを期待してはいけない。ストーリーのすべてのバリエーションは全て出尽くしている。「小説のストラテジー」にあるように、ストーリーのパターンはもう出尽くしていて、ストーリの概略は過去の何かと同じである。ワンピースで言えば、(海賊王という)夢を追いかける若者が仲間とともに苦難を乗り越えていく、というストーリ概略は過去に何度も登場している。

 それ故、読書感想文であらすじを書くことに意味はない。あらすじに目新しさは無いからだ。

小説のストラテジー (ちくま文庫)

小説のストラテジー (ちくま文庫)

 

 

小説のモチーフを読み取ることが大切

  「サブマリン」における登場人物、棚岡少年の役割は

  • 事故で殺されたものの人生はそこで終わるのに、加害者(犯人)はのうのうとその後の人生を全うする。それはずるくないか?
  • 事故の加害者に、事故で復讐することは、悪いことなのか?悪いとしてどれほど悪いのか?
  • 誰かの命を奪う犯罪者がいたとき、その命を奪うことは許されるか?

という問いを読者に投げかけることだ。

 これらの問いに正解で答えることは難しい。せめて法律(ルール)ではそれらは許されていないと答えるのが精いっぱいだ。これに対して、登場人物 小山田の役割は

  • 犯罪を阻止するために法律(ルール)を破ることは許されるか?

という問いを読者に投げかけることだ。

 

 これらに正解はない。あなたがどう思うか?(つまり感想)を考えるのに最適な問題設定だ。

 江戸時代には仇討ちは合法だった。現代の日本では違法だ。では、なぜ違法に変わったのか?調べてみると、良い感想文に仕上がる。

 

小説とは、表現の運動を愉しむものである

 ストーリはすでに出尽くしていると「小説のストラテジー」は主張する。ではなぜ小説を読むのか?「小説のストラテジー」は表現の運動を愉しむためだとしている。つまり、どう表現されているかを味わうために小説を読むということだ。

 ネットでは、何か不手際を犯したものをひどく叩く人が多い。不寛容の社会と言うやつだ。犯罪を犯したものをネットで晒して叩く。こういった人には犯罪を犯した者も人間であり、中には助けるべき者もいることを想像する力に欠ける。犯罪者は全員悪、といった単純で分かりやすい世界に住んでいる。現実世界はそれほど単純でも分かりやすい訳でもないことを、本書では次のように表現している。

  • 「おまえはどうせ、涎を垂らしながらアクセルを踏みまくって小学生を撥ねて殺した、人食いタンクローリーのお化けみたいなのを想像していたんだろうが」

 

これは、人を撥ねた車のイメージに関するくだりだ。人を撥ねた車イコール悪のステレオタイプを揶揄した表現になっている。ここで”揶揄”していることに気づくことが大事だ。あなたは、ここで揶揄するだろうか?揶揄するとしてどう表現するだろうか?この点を考えると感想文が5つ6つ書けるほどの難問だと思う。それだけに、感想文の良い題材だと言えよう。

 

まとめ

 読書感想文で、あなたの感想を書いてはいけない。求められているのは、何故そう思うのか?という点だからだ。

 伊坂幸太郎の「サブマリン」は、読書感想文の題材に最適だ。そのモチーフとなっている問いに正解はないからだ。正解のない問いに対して自分の考えを述べる、これこそが読書感想文というものだ。