読書感想文を書くのにピッタリの本。そう思った。
読書感想文では感想を書いてはいけない
読書感想文で、好き・嫌い、良い・悪い、といった感想を書いてはいけない。これを分かっていない人は案外多い。
漫画「ワンピース」を例に考えてみよう。主人公ルフィーが仲間のために戦う。その姿に感動した。正直に感想を書けば、「仲間を守るルフィーの姿が好きです、感動しました。」と書くだろう。まともに考えれば、そこで文章は止まる。好き・嫌いは理屈ではないからだ。しかし、感想文の出題者が求めているのは、「なぜ好きなのか?」「あなたの仲間が危機に陥ったとき、あなたはルフィーのように命がけで助けるのか?」という問いに答えることである。普通の人間であるあなたは、「なぜ好きなのか?」と問われても答えられない。ましてや、あなたの仲間が命の危機に陥ったりすることはまずないので、答えられない。
感想文で求められているのは、あなたは何故好きなのか?あなたならどうするか?に答えることだ。
小説はストーリを愉しむものではない
小説を読むとき、そのストーリを愉しむことを期待してはいけない。ストーリーのすべてのバリエーションは全て出尽くしている。「小説のストラテジー」にあるように、ストーリーのパターンはもう出尽くしていて、ストーリの概略は過去の何かと同じである。ワンピースで言えば、(海賊王という)夢を追いかける若者が仲間とともに苦難を乗り越えていく、というストーリ概略は過去に何度も登場している。
それ故、読書感想文であらすじを書くことに意味はない。あらすじに目新しさは無いからだ。
小説のモチーフを読み取ることが大切
「サブマリン」における登場人物、棚岡少年の役割は
- 事故で殺されたものの人生はそこで終わるのに、加害者(犯人)はのうのうとその後の人生を全うする。それはずるくないか?
- 事故の加害者に、事故で復讐することは、悪いことなのか?悪いとしてどれほど悪いのか?
- 誰かの命を奪う犯罪者がいたとき、その命を奪うことは許されるか?
という問いを読者に投げかけることだ。
これらの問いに正解で答えることは難しい。せめて法律(ルール)ではそれらは許されていないと答えるのが精いっぱいだ。これに対して、登場人物 小山田の役割は
- 犯罪を阻止するために法律(ルール)を破ることは許されるか?
という問いを読者に投げかけることだ。
これらに正解はない。あなたがどう思うか?(つまり感想)を考えるのに最適な問題設定だ。
江戸時代には仇討ちは合法だった。現代の日本では違法だ。では、なぜ違法に変わったのか?調べてみると、良い感想文に仕上がる。
小説とは、表現の運動を愉しむものである
ストーリはすでに出尽くしていると「小説のストラテジー」は主張する。ではなぜ小説を読むのか?「小説のストラテジー」は表現の運動を愉しむためだとしている。つまり、どう表現されているかを味わうために小説を読むということだ。
ネットでは、何か不手際を犯したものをひどく叩く人が多い。不寛容の社会と言うやつだ。犯罪を犯したものをネットで晒して叩く。こういった人には犯罪を犯した者も人間であり、中には助けるべき者もいることを想像する力に欠ける。犯罪者は全員悪、といった単純で分かりやすい世界に住んでいる。現実世界はそれほど単純でも分かりやすい訳でもないことを、本書では次のように表現している。
- 「おまえはどうせ、涎を垂らしながらアクセルを踏みまくって小学生を撥ねて殺した、人食いタンクローリーのお化けみたいなのを想像していたんだろうが」
これは、人を撥ねた車のイメージに関するくだりだ。人を撥ねた車イコール悪のステレオタイプを揶揄した表現になっている。ここで”揶揄”していることに気づくことが大事だ。あなたは、ここで揶揄するだろうか?揶揄するとしてどう表現するだろうか?この点を考えると感想文が5つ6つ書けるほどの難問だと思う。それだけに、感想文の良い題材だと言えよう。
まとめ
読書感想文で、あなたの感想を書いてはいけない。求められているのは、何故そう思うのか?という点だからだ。
伊坂幸太郎の「サブマリン」は、読書感想文の題材に最適だ。そのモチーフとなっている問いに正解はないからだ。正解のない問いに対して自分の考えを述べる、これこそが読書感想文というものだ。