NFT(Non-Fungible Token)というものがあります。ブロックチェーンの応用で、デジタルデータの所有者を記録するものです。これをどう使うと良いのか、皆が試行錯誤している状態で、また過剰な期待もあるようです。
できることできないことを冷静に整理しておこうと思う。
NFTに対して過剰な期待があるようです。例えば、下の記事では、アマゾンの電子書籍は所有権を譲渡しておらず、アマゾンがそのサービスをもし止めたとしたらユーザは購入した電子書籍を読むことができなくなる、という問題点をしてきしつつ、電子書籍の流通にNFTを使えばよいといった解決策を記しています。
これに対して、私はNFTでは問題は解決しないと考えています。
その理由を説明する前に、基本に立ち返りましょう。所有するとは何でしょう?それは、自由に使用することができ、処分(譲渡・販売・破棄など)することができることです。
そして、デジタルコンテンツを使用するケースには次の3つが考えられます。
- それを(鑑賞するなどして)自分が楽しむ
- それを(ネットで公開するなどして)他人に見せる・聞かせる
次に、価値について考えましょう。価値があるものには希少性が必要です。つまり、たやすく手に入るものには価値がつきません。
希少性という観点で、デジタルコンテンツはコピーが容易なので、価値がつきづらい。そのため、デジタル書籍はユーザにコピーをさせない仕組みが入っています。これには、DRM(Digital Rights Management, 著作権管理)技術が使われることが多い。DRMの問題点として
- 恒久的なコンテンツ使用が保証されない(そのコンテンツに適用されているDRM技術に対応した機器やソフトが手に入らなくなると、コンテンツを使用できなくなる)
- 私的複製ができない
- 特定環境に縛られる(Amazonで買った電子書籍は、AmazonのKindleやソフトでなければ読めない, アップルも同様)
冒頭で示した記事は、恒久的なコンテンツ使用が保証されていない点を記したものだが、NFTではDRMを無くすことはできない。DRMを無くすと、コンテンツのコピーが可能となって、コンテンツの価値がなくなるため。
一方で、NFTが全く役に立たないかということもなくて、ある特殊な市場においては効果を発揮する。それは、所有そのものが価値を持つコンテンツ。例えば、現代アートです。
アンディ・ウォーホルのマリリンモンローや、アンドレアス・グルスキーの写真といった現代アートは、その物ではなく制作の時代背景や新しさといったストーリに価値が与えられます。そのため、物がコピーされても「オリジナルの所有」に価値が残る可能性は大いにあります。
まとめ
所有権、使用権、著作権など、デジタルコンテンツには様々な権利が関わってきます。これらの権利をよく考えないとビジネスは成立しません(例えば、コピーを許すと価値がなくなり、流通が成立しない)。
NFTは所有権に関わりますが、それだけでは流通システムをカバーできません。
ただし、「所有することに価値がある」領域では、NFTを使って流通が成立するかもしれません。例えば、現代アートは有望かもしれません。