名著と呼ばれる本はたくさんありどれを一番ということはできないけれども、『レトリック感覚 (講談社学術文庫)』は間違いなく名著の一つに挙がるだろう。この中で、有限の言葉で無限の事象を表現することはできず、私たちの感じたことをできるだけありのままに表現するためにレトリック技術が必要だ、述べている点が素晴らしい。
レトリックが技術であるなら、他人の技術を盗むこともできる。この本を読んでから、本を読んだ際にそこで使われているレトリックを盗むようにしている。
例えば、桜の花に関するレトリックで有名なのは、梶井基次郎の「櫻の樹の下には」だ。満開の桜の花を見た時の迫力のある見事さを表現するレトリックである。
桜の樹の下には屍体したいが埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。何故なぜって、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。
『あの家に暮らす四人の女 (三浦しおん)』を読んでいて、桜の花に関するレトリックを見つけた。
桜の枝さきで、ふくらみきった蕾がポップコーンのようにひとつふたつ弾けた。
そのあたりの桜の密度といったら、霞を通り越して、薄ピンクの積乱雲のようだった。
桜をポップコーンや積乱雲に例える意外性にうれしくなる。また、枝さきで花が咲く様はポップコーンのようだというのも私の肌感覚に合う。積乱雲の方は、小さな花がモリモリと集まる様子をよく表しているが、夏の積乱雲で例えるのは季節的に外れている気もするが、気温の高い日には是非使ってみたい気もする。
レトリックなんて使わず単に「桜の花」と言えば通じるけれど、自分の見た印象を表現するには、「死体が埋まっている」「ポップコーンのようだ」「積乱雲のようだ」などと、言いたくなるし、自分の印象に近い言葉を探したくなる。自分でレトリックを発明するのは難しいので、本を読んだ際にレトリックを集めるようにしている。