「向上心」という言葉は、なんだか尊いオーラをまとっている。「あの子は、向上心ある」、「向上心のあるやつは、違うね」とか、羨望の色がそこにある。就職活動においても、向上心を自己PRに使えという教えがある(『自己PRで向上心を伝えるポイント3つ【例文アリ】|オリジナリティのある内容にするための工夫をご紹介 | 就活の未来』)。
でも、僕たちは「向上心」の尊いオーラに騙されてはいないだろうか?「向上心」の呪いにかかっていないだろうか?
実は、「向上心」のある人は凄い人と思わされている。
小学校や中学校の頃、先生や親から「向上心」が大切と言われ続けてきた。これは、”もっと勉強しなきゃ”と思いなさいということだ。社会人になると、上司から「向上心」が大切だと言われる。これは、”もっと働かなきゃ”と思いなさいということだ。
他人から「向上心」が大切と言われ続けると、そのうち自分で自分に「向上心」が大切と心の中で言うようになる。”満足したら終わり”、”常に前を向いて進んでいきたい”、”社会を変えたい”などと。
ところで、上ってどっちなんだろう?
「向上心」とは、字の通り””上に向かいたい気持ち”なんだろうし、これを言い換えると、”常に前に進みたいという欲求が強い”、"現状に満足せず改善してく姿勢が強い”、ということなんだけど、方向を示していないことに注意して欲しい。上ってどっち?前ってどっち?を示していない。
どこに向かうか言わずに「向上心」はエライというのはおかしい。
「向上心」があると親や教師から褒められるとき、向かう方向は彼ら任せだ。彼らが望む方向に僕たちが向かっているから褒めている。それを無邪気に喜んでいるのは危うい。洗脳の一種だからだ。
緻密な計画なんかなくていい。「やりたいこと」があるやつが本当に強い。
それを実現するための知識を、素早くインプットしていければ、もはや最強だ。
やりたいことがないまま、「何を学べばいいのか?」などと計略を弄するのは実にくだらない。
上の記事で言っていることは、
- ムダな目標 というものがある
- 「やりたいこと」が大事
ということだ。
「向上心」という言葉には、「やりたいこと」を考えずにもっとがんばれ、という呪いがかかっている。気をつけないと、方向を決めないままジタバタがんばり、頑張っている自分に満足する、ことになりかねない。
上ってどっち?と意識することが大事だ。