今のようにマスコミとネットの境界が消滅すると、媒体や肩書きには意味がなく、情報の質は「広瀬隆氏と山下俊一氏のどちらが信用できるか」といった個人の専門性の問題に帰着する。これは佐々木氏のいう「キュレーション」に近いかも知れない。検索エンジンによる機械的な情報選択ではなく「あの人の選んだ情報だから見てみよう」というフィルタリングが価値をもつのである。
個人ブランドの時代が確立するには、発信される情報の正しさ・有用性を判断する能力を消費者が有することが前提になる。いまのところ正しいことより、分かりやすいことに消費者は飛びつくように見える。そして、分かりやすさの最たるものが既存ブランド、すなわち権威をすでに有しているものの発言である。つまり、権威者が言うから正しいと思う、という心理である。この心理を土台として作られる個人ブランドは、結局権威者によって操作されたブランドであるように思う。
真の意味で個人ブランドを作り上げるだけの民度をネットは上げられるのか、興味深いところである。