「最近、ブログが不自由になってきたと思いませんか?」(orangestartの雑記)が興味深い。
要旨
自分なりに要旨をまとめる。
"不自由"とは何か?
自分だけの意見を述べることが難しいこと、それを”不自由”と表現している。
なぜ、それが難しいかと言えば、disる人間がいるためである。disる人間は、そうするコストの低さと「一般論」としての正しさを持っている。
“自分だけの意見”をいうリスクが発生した。
そしてそれは自分の意見だから、自分のコアに直接接続されていて、それをdisられると結構ダメージでかい。(そしてインターネットの仕組み上、disる人間のコストは限りなく低くなる)だから、みんな一般論しか言わなくなる。不自由。60億人が思う、“普通はこうだろうという”意見、そういうものは誰にも非難されにくいし、そして正しい。
なぜdisる人間のコストは低いのか?
根拠地をネット上に持たない人間、例えばスマホからネット上のブログをただ見るだけの人、あるいはtwitterの捨てアカウントを使う人は、自分自身に反論されるリスクがない。さらに、「一般論」としての正しさを言うならば、反論されようがない。
昔は、インターネットをする人=サイト持ち(サイトをもたないまでも、なにがしかの根拠地を持ってた)人が多かったけれども、今はスマホからも何からも、ただ見る、ということだけの人がだいぶ増えたように思う。
思うこと
上のブログを読んで、”プライベート”<”パブリック”<”匿名コメンテーター” という不等式が思い浮かんだ。
昔のインターネットは、匿名ではあったのだがプライベートな空間で、気の合う仲間だけで意見を交換していた。それが、スマホによりネットの参加者が増えたことにより、パブリックな空間になった。「ネットのバカ」(新潮新書)で著者の中川さんが言うように、ネットは、パブリックでなだけでなくマスメディアとして性格が強まっている。そして、ネットを”ただ見る”人は、匿名コメンテーターとして”一般的"に正しいコメントを発信する。
匿名コメンテーターの行く先は、人気ブログである。それがdisられるかdisられないかは、”一般論”次第だ。芸能人ブログのように、TVで”一般論”のできあがったブログは、disられづらい。そして、匿名コメンテーターのコメントを肥やしにそのブログが伸びる。「ネットのバカ」に書かれていることが、加速していく。
最後に
SEKAI NO OWARIの歌 Dragon Night の歌詞を抜粋します。
『それぞれの「正義」』を持ちつつ、友達のように歌いたいものだと。
今宵は百万年に一度代用が沈んで夜が訪れる日
終わりの来ないような戦いも今宵は休戦して祝杯をあげる人はそれぞれ「正義」があって、争い合うのは仕方ないのかもしれない
だけど僕の嫌いな「彼」も彼なりの理由があると思うんだドラゴンナイト 今宵、僕たちは友達のように歌うだろう
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