kotaの雑記帳

日々気になったことの忘備録として記していきます。



『これから「正義」の話をしよう』(マイケル・サンデル)の感想:正しさの根拠は3種類ある

「正しさ」の話

 日本では、まず「悪」が定義され、それを懲らしめるものとして「正義」が考えられている、つまり「正義」そのものを考えてこなかったように思います。そのため、この本は、「正義の話」というより「正しさの話」と考える方が日本人には分かりやすいと思います。

 

 新型コロナが流行った3年前に、感染防止のため日本人は真面目にマスクをしていましたが、欧米ではマスクを強制することに強い反対がありました。

 マスクに賛成派の人は、マスクをすることにより感染が抑えられて社会全体の利益になる、そのためなら少々煩わしくても皆がマスクをすることは正しい、と思っていました。一方で、マスク反対派(欧米で多かった)の人は、マスクを強制することは個人の自由を侵害している、と思っていました。

 このように、マスクをする/しないだけでも、どちらが正しいか激論になりました。

 

正しさの主張は3種類

 ついつい空気を読んでしまう日本人は、正しさを主張するのが苦手です。しかし、自分の行動が正しいと主張しなければいけない場面もあるでしょう。では、正しさをどう主張できるでしょうか?

 正しさの主張は3種類に分類できると、この本は述べています。

  • 幸福の最大化(功利主義)
  • 自由の尊重(自由市場主義)
  • 美徳の促進(道徳主義)

 

 新型コロナの感染を抑えて社会の感染者数を減らそうというのは、幸福の最大化の考え方をしています。一方で、マスク着用を強制するのは自由の侵害だというのは、自由の尊重を重視しています。

 これらの二つ(幸福の最大化と自由の尊重)は、考え方がシンプルなため、このロジックを使う人をよくみかけます。しかし、それぞれに弱点を持っており、美徳(道徳)的な主張に譲ることもあります。

 10年ほど前に、自分の腎臓を臓器ブローカーに売って、その代金でAppleのiPadを買った少年がいました。これは正しい行いでしょうか?自由意思による契約だったことを考えれば、自由市場主義の点からは正しいと主要できます。しかし、私の心の中にモヤモヤしたものが湧き上がります。つまり美徳の点で正しい行いではないと感じているのです。

 【どうしてもiPad 2が欲しいから腎臓を売った少年、後悔する。 | ギズモード・ジャパン (gizmodo.jp)

 

 この本では、たくさんの例を挙げて正しさの検証をしており、上の3つの長所・短所を明らかにしています。

 

感想

 ネットで「これは正しい、自由意思による契約に基づくからだ」と明快に言い切る文章を見ると、私はそうなんだと簡単に信じてしまいます。でも、この本を読んで、「正しさ」には3つの観点があり、明快に言い切れるほど単純ではない、と思いました。むしろ、明快に言い切る人には注意しないといけませんね。

 

おまけ

 この本は濃い内容であったため、大事なところを別記事に書いています。