
映画「チェンソーマン」を観てきました。
良く絵が描き込まれていて、これは映画館で見るものだと思いました。
戦闘シーンが長くて退屈でしたが、総じて面白かった。
幸せな人生とは何か?自分の価値観とは相いれないものを提示していることを知ったことが、得るものだったと思う。

映画「チェンソーマン」を観てきました。
良く絵が描き込まれていて、これは映画館で見るものだと思いました。
戦闘シーンが長くて退屈でしたが、総じて面白かった。
幸せな人生とは何か?自分の価値観とは相いれないものを提示していることを知ったことが、得るものだったと思う。
映画『ザ・ファブル』を見ました。映画化2作目の方です。
凄腕の殺し屋が、ボスの命令で、一年間の休暇をとらされることになり、その間は誰も殺してはいけないと約束させられた。「殺さない殺し屋」の誕生です。
ファブルの原作は同名コミックで、原作ファンの中で”泣ける”と評判の"宇津帆編"を映画化したのが、本作品です。
『ジョジョの不思議な大冒険』の作者である荒木飛呂彦の「荒木飛呂彦の漫画術」に従って、テーマ、キャラクター、ストーリー、世界観に分けて感想を言えば、
全体的に面白く観ました。特に、佐羽ヒナコを演じた平手友梨奈の熱演は見応えがあります。
一方、マンションでの大人数との乱闘シーンは、迫力があり、ハラハラドキドキの連続でしたが、原作の世界観とは乖離してしまっています。原作と映画で世界観が異なることは、あっても良いことだと思いますので、ここは賛否が分かれるでしょう。私は、もう少し短時間であっても良かったと思います。
映画「ラストマイル」を見ました。最後まで謎解きが続き、緊迫感で観客を引き込む面白い映画でした。特に最後の謎の真相は、意外で少し悲しくて切ないものでした。TVドラマ「アンナチュラル」、「MIU404」が好きな方は、これらとこの映画は世界観が共通しており、必見です。
「ラストマイル」は、世界規模のショッピングサイト「DAILY FAST」の関東配送センターで起こる連続爆破事件を描いています。ブラックフライデーの前夜、配送された段ボール箱が爆発し、日本中を恐怖に陥れる連続爆破事件へと発展します。新センター長の舟渡エレナ(満島ひかり)とチームマネージャーの梨本孔(岡田将生)は、事件の収拾に奔走する中で、犯人の正体や動機が次第に明らかになっていきます。
ショッピングサイト「DAILY FAST」がその描写からAmazonを彷彿させます。そして、マネージャーたちへ、権限移譲と信賞必罰が徹底され、競争原理の下でハードワークを強いられていることが描かれており、その狙いが利益向上であることを示唆するシーンが多い。これは、アメリカ型の働き方を皮肉っていると感じました。
また、「カスタマーセントリック」と行動指針を掲げながらも、経営陣は利益至上主義的な行動をとっており、いわば「利益セントリック」で行動している様子も、皮肉が際立っています。
これらは、資本主義という利益を優先する経済システムへの警鐘とも感じました。そして、映画中に度々流れる”What do you want?”(あなたは何が欲しいの?)というセリフは、我々庶民が欲望を刺激されていることの風刺なのだと思います。
アンナチュラル、MIU404、ラストマイルと共通する世界観で映画を作る手法が、興味深いです。最近、リメイク映画も多い中、狙ってある程度のヒットを見込める映画企画の新しい制作スタイルとなるかもしれません。

映画『ルックバック』を観ました。とても良い映画でした。その良さを言語にするのは難しいのですが、感想をここに記します。
原作は、アニメ化もされた『チェンソーマン』でお馴染みの藤本タツキの読み切り作品です。
『ルックバック』は、漫画を通じて結ばれた2人の少女(藤野と京本)の成長と友情、そして創作活動の喜びと苦悩を描いた作品です。藤野は周囲に褒められ育ち、自我がパンパンに肥大した性格として描かれ、京本は引きこもりで精神的に藤野に依存した自己肯定感の低い性格として描かれています。
小学4年生の藤野は、学級新聞で漫画を描き、周囲からの称賛を浴びていました。しかし、同学年で不登校の京本の絵の才能に触れ、自分の絵が「普通」であることに気づき、京本に負けまいと絵を描く練習を一心に始めます。しかし、京本ほど絵が上手くなれないことから、藤野は漫画を描くことを止めます。しかし、小学校卒業の日に京本から藤野の熱心なファンであることを告げられ、二人は一緒に漫画を描くことになりました。高校を卒業するころには、二人はプロの漫画家としてデビューするまでに成長しますが、二人の道は分かれます。藤野はプロの漫画家になり、京本は絵の勉強のため美大に行きます。ある日、京本は悲劇に見舞われ、藤野は苦悩しながらも前に進むことを決意します。
この中で、私が好きな点を挙げます。
映画『ルックバック』を観た感想を書きました。英語の Look Backの意味は”振り返る”であることと、Backの意味は"背中"であることを念頭に見ると、映画の中の「おー 京本も私の背中みて成長するんだなー」というセリフ遊びも楽しめます。さらに言えば、京本は藤野の背中を見て漫画を描き、そんな青春時代を藤野は振り返る、ということでしょう。
漫画は静止画の連続で物語を語り、読者の想像力を刺激します。一方、アニメーションは動きと音を加えることで、よりダイナミックな視覚効果を与えます。この映画では、漫画が持つ独特の表現力と、アニメーションが生み出すリズム感と動きの美しさが、互いに補完しあいながら物語を紡ぎ出しています。特に上述の藤野が帰り道を歩くシーンは、間の撮り方や躍動感は、アニメならではの表現です。
後で調べたら、制作メンバーも凄い人たちです。
2021年に「少年ジャンプ+」にて公開されると、著名なクリエイター陣をはじめとした数多くの漫画ファンの間で話題を呼び、「このマンガがすごい!2022」オトコ編第1位にも輝いた本作。原作者である藤本タツキは、小学館漫画賞などを受賞し、TVアニメの盛り上がりや、映画化の発表も記憶に新しい「チェンソーマン」や「ファイアパンチ」などの代表作を持ち、世界中から支持を集める作家の一人である。
主人公の藤野役を演じるのは、ドラマ「不適切にもほどがある!」の純子役で人気を博した、河合優実。その演技力や類い稀な存在感が話題を集めている。もう一人の主人公である京本役は、映画『あつい胸騒ぎ』(23)『カムイのうた』(23)等では主演を務め、その目覚ましい活躍に拍車がかかる、吉田美月喜が担当。
そして、監督・脚本・キャラクターデザインを務めるのは、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』(09)『借りぐらしのアリエッティ』(10)『風立ちぬ』(13)など、数多くの劇場大作に主要スタッフとして携わってきた、押山清高。その才能は、海外でも高く評価され、アヌシー国際アニメーション映画祭2019の日本アニメーション特集で若手クリエイター26人の一人として選出されている。
(映画ホームページより https://lookback-anime.com/)
映画「翔んで埼玉2」を観てきました。
面白かった。埼玉の郷土愛と自虐ネタが満載の映画だけれど、それ以外にも細かい無数のギャグが放り込まれていました。
特に、千葉解放戦線の船に乗り込むシーンの「阿久津はどうした?」と問う部分は笑いました。ブラックギャグだけれど。
今回は、埼玉だけでなく滋賀県の郷土愛と自虐ネタもたくさん突っ込まれています。琵琶湖にマイアミビーチがあるかのようなシーンは、ビワコマイアミランドの自虐ネタだろう。主人公 麗が「大きな湖がある滋賀県に人が住める土地があったとは」というセリフも、「翔んで埼玉」ならではで笑った。
大阪市長役の片岡愛之助は、まるでバットマンの悪役ジョーカーを露骨にパクっていて、悪役感を発していました。
この映画は、ただ観ていてもたくさん笑えますが、細かいギャグやパクリも盛りだくさんで、それらに気づいくと一層笑えます。
映画「ミステリと言う勿れ」を観てきました。
菅田将暉は良い役者ですね。上手でした。周りのことをよく見ていて、気になったことは周囲の気持ちを気にせず口にする人物です。この久能整を彼は上手に演じていました。TVドラマ「ミステリーと言う勿れ」と同じく音楽はKing Gnuの「カメレオン」。これが流れると、ドラマでおなじみの世界観にどっぷり浸かってしまう。
この菅田将暉の演技と音楽「カメレオン」は強力で、どんなストーリーでも同じ後味にしてしまいそうです。
しかし、原菜乃華の演じる汐路が、それに抗いこの映画に個性を与えています。この映画の主役は汐路と言えるでしょう。汐路はひどく歪んでおり、その歪みがこの映画の見所です。
「バイトしませんか。お金と命がかかっている。マジです。」そう言って汐路は、整を狩集家の莫大な遺産相続争いに巻き込む。狩集家の遺産相続は先代・先々代と死人がでており、今回も死人が出ると汐路は言う。
映画の前半と後半で汐路の態度が変わることに注目です。事件を起こしたいのか、防ぎたいのか、汐路の態度は揺れます。最初に整を誘った汐路の目的は何なのか? 矛盾する心情がそこにあるよう思えます。
ラストは車坂朝晴が存在感を出す。汐路は彼を「あさちゃん」と呼ぶ。その声はとても優しい。朝晴も汐路を信頼しており、彼もまた歪んでいます。歪んではいても、彼が汐路をどう思っていたのかを考えると、切ない気分になります。彼も被害者です。
菅田将暉演じる久能整とKing Gnuの音楽「カメレオン」はTVドラマと変わらずで心地良い。原菜乃華の演じる汐路の抱える歪みとそれによる矛盾、そしてそれらを隠すように明るく振る舞う様子がこの映画の見所でしょう。
映画の中で上手く犯人の動機が描かれていますが、家に帰って落ち着いて考えなおすと、そんな馬鹿なことは無いだろうと思ってしまう、そのギャップも見事です。
映像に注目すると、黄色みのある色調が使われているシーンが殆どで、たまに青みのあるカットが挟まっていました。青はこれから起こる不幸や不安の暗喩でしょう。また映像の黄色みも強弱がつけられています。例えば、整くんが優しく強く語るシーンでは黄色が強くなり、遺産相続候補が不安そうに語るシーンでは薄い。監督の制作意図が色調にも込められていそうです。
受け手に対しても読み手に対しても、従って、まず要求されるのは表面に留まる強さです。作品の表面を理解することなしに意味や内容で即席に理解したようなふりをすることを拒否する強さです。
(「小説のストラテジー (ちくま文庫)より)
これは、初めて読んだときによくわからなかった部分だ。「小説のストラテジー」は文学が芸術たる理由を述べた名著だ。ただし、本気で読むことを要求する本で、分かりやすい本ではない。
宮崎駿監督の映画「君たちはどう生きるか」の感想を漁っていると、
をよく見かける。
上の「表面に留まる強さ」とは、映画で言えば、映像で描かれている映像表現のみを見て、その意図や制作経緯などには踏み込まないということだろう。
意味や内容を理解することは本質的に困難である。それでいて分かったつもりになりやすい。私たちは理解するためのテンプレートと、典型的で汎用的な回答がある。どのような作品であっても、それに当てはめれば意味や内容を記述することはできる。しかし、それは汎用的でどの作品にも言えるステレオタイプなものとなりやすい。つまり、知らず知らずに「意味や内容で即席に理解したようなふり」をしてしまう。
#Web記事に対して内容を読まずにコメントする人のなんと多いことか
分かったつもりにならないためには、見たもの・読んだものをあるがままに認識することが必要だ。そしてそれは困難なことでもある。
スタジオジブリの宮崎駿監督の新作映画「きみたちはどう生きるか」を観てきた。
最初に書いておくと、この映画はハリウッド映画のようなエンターテインメントではない、いわゆる「一癖も二癖もある野郎どもがとんでもない冒険をする。そして、絶世の美女とのロマンスも見どころ!」というものではない。また、書籍「君たちはどう生きるか」をアニメ化したものでもない。この映画を楽しむのは難しいかもしれない。観客を感動させようとか、いう意志も感じない。
さて、声優陣をWikipediaから記す。
| 登場人物 | キャスト |
|---|---|
| 牧眞人 | 山時聡真 |
| 覗き屋のアオサギ | 菅田将暉 |
| 若き日のキリコ | 柴咲コウ |
| ヒミ(眞人の母 久子) | あいみょん |
| 夏子 | 木村佳乃 |
| ばあやたち | |
| ワラワラ | 滝沢カレン |
| 老ペリカン | 小林薫 |
| インコ大王 | 國村隼 |
| 大叔父様 | 火野正平 |
| 牧正一(眞人の父) | 木村拓哉(特別出演) |
アオサギの声を演じた菅田将暉がとても上手だ。彼は、俳優としても目が離せないが、声優としても存在感ありますね。ヒミの声はあいみょん。あいみょんが声優をする/できるとは思っていなかった。うれしい驚きだ。意外だったのは、眞人の父を演じた木村拓哉。眞人の父は、自分の商売がうまくいって自信家で、周りを支配しようとするタイプ、映画の中では決して重要な役ではない。それを木村拓哉が演じるとはなんて贅沢なんだろう(木村拓哉はハウルの動く城で主役の声を担当していて、そのときから声優としての彼に注目しています。)。大叔父様を演じた日野正平はさすがベテラン俳優だ、声だけでも存在感がすごい。
映画の中で、アオサギとペリカン、インコが出てくる。これらは何を暗喩しているのだろうか。私の実家の近くにはアオサギがいて、その大きさや滑空するときの迫力を私は知っているが、一般の人にはなじみがないだろう。それでもアオサギを描く意図は何だろう?よく考えてみたい。
ペリカンは、誕生の暗喩だと思う。夏子が子供を産む、それを象徴している。
インコはなんだろう?群れるところ、目をよく見ると不気味なところ、良い選択だと思うけれど、もっと他に意図があるような気もする。
この映画で印象的なのは、絵と色だ。特にインコの絵が描き方はさすが。ファニーで、恐ろしくて、愛嬌のあるデフォルメがされている。そして、色も美しい。
眞人から受ける印象は、賢さ・正しさを知る頭の良さ・正しさを心から納得できない未熟さ。映画の中で眞人が成長する。正しさを、心から納得できるようになるのが大人ってもんだと、宮崎駿監督が言っている気がする。しかし、すべての大人がそうではない。眞人の父、夏子、キリコ、眞人の周囲の大人はダメな部分を抱えている。成長することは、何かを獲得することではあるが、ダメな部分も身に付けてしまう。
私にとって一番印象的だったシーンを一つ書いておく。映画後半で、眞人が眠っている夏子を起こして元の世界に戻ろうというシーンがある。目の覚めた夏子は眞人に、おまえなんか嫌いだ、と言う。映画前半の夏子の態度が、本心ではなく倫理観からくるものであることを伺わせる。眞人も、夏子に対してわだかまりがあるのに、夏子を連れ帰ろうとする。これってすごい。
好き・嫌いで態度を決めるのではなく、意志をもって正しい態度をとる。それが正しい生き方だ。(なかなかできないのだけれど)
ここから先は個人的な妄想だ。
大叔父様は、石に出会って彼だけの世界を作る。これが眞人が映画後半過ごした世界だ。大叔父様は眞人に彼の世界を譲ろうとする、悪意のない意志で素晴らしい世界を作って欲しいと。眞人にとって魅力的な提案だっただろう。元の世界に帰れば、慣れない引っ越し先での暮らしが待っている。馴染めない新しい母、学校。元の世界には戻りたくない筈だ。
大叔父様の世界を譲るという提案は、眞人に”これから君はどう生きるのか?”と問うている。
そして、映画は観るものすべての人に問うている”君たちはどう生きるのか?”と。
一方、大叔父様を宮崎駿に重ねれば、彼の作り上げたジブリというブランドと世界観を誰かに引き継いで欲しいと言っているようにも解釈できる。後継者よ、偉大なジブリブランドと世界観を引き継ぐのか、それとも苦しくても自分のブランドと世界観を作り上げるのか?と問うている。眞人の選択を観れば、宮崎駿が皆に何を望んでいるかは理解できよう。
映画スラムダンク『THE FIRST SLAM DUNK』を観た。
この映画は、日本だけでなく韓国や中国でも大人気絶賛公開中だ。中国では、前売り券の興行収入が約22億6000万円を突破し、中国における日本のアニメ映画歴代興行収入1位を記録した。韓国では、2023年1月4日に上映が始まり、観客動員数は1月27日にトップになって以降、19日連続で1位となり、累計では400万人を突破した。これは日本映画として観客動員数1位だった新海誠監督の「君の名は。 」を抜いて歴代1位の記録を塗り替えた。
さて、原作コミックは、今から30年以上前の1990年から1996年まで週刊少年ジャンプで連載され、単行本は全31巻。韓国では、原作コミックの新装再編版が100万部を突破している。
さらに、江ノ電 鎌倉高校前駅の踏切は、スラムダンクの聖地として海外からの巡礼者も多く、ここに行くとスラムダンクが中国・韓国で人気であることを実感する。

いろいろと感ずるところは多いが、ここでは大きく二つ、(1)映画から受ける印象、(2)映画のストーリーについて書く。
映画スラムダンクの印象を一言で言えば、昭和の濁っていてザラザラした感触のする映画だ。
最近のアニメ映画によくある透明でツルツルした感じではなく、濁っていてざらざらしている、そんな絵作りとストーリー。強くなりたい・勝ちたい・負けたくないという欲がスクリーンから放たれている。スマートに軽やかに勝つのではなく、ドロドロになりながら這いつくばって進むキャラクター達。良くも悪くも昭和の匂いがする(原作コミックの連載が始まったのは平成2年だ。)。不良やリーゼーント、学ラン、ケンカの世界で、尾崎豊の名曲「卒業」が似合う。
誰かの喧嘩の話にみんな熱くなり、
自分がどれだけ強いか知りたかった。
力だけが必要だと頑なに信じて、
従うとは負けることと言いきかした。
今は熱くならずクールに損得を判断する、無駄なことはしない、それがカッコいいとされるが、それとは違う世界の物語がスラムダンクだ。こういった空気感とその背景。そして、かつての昭和の匂いのするこの映画が今ウケているのかに思いを馳せると楽しい。
コミックを映画化するとき、一般的には原作のストーリーをぎゅっと縮めるのが定番だ(東京リベンジャーはこの典型)。2時間弱の映画の長さに収めるため、原作中で描かれていた詳細な説明や状況描写が省かれる。そのため、原作を読んでいない初見者にとっては少し分かりづらくなり、原作を読んでいる者にとっては新鮮味の無いストーリーになる。
それに対して、この映画では、コミックと違ったスポットライトの当て方とストーリー展開をし、それでいて原作の放つ匂いは変えていない。この映画でスポットライトが当たっているのは、宮城リョータ、三井寿、赤木剛憲。コミックでは主人公の桜木花道には殆どライトが当たらない。そして、流川楓に至っては殆ど登場しない。天才流川が活躍しないからこそ、宮城リョータの良さが際立つが、勇気のいるストーリーメークだ。おかげで、原作を読んだことがあってもなくても楽しめるものになっている。
映画の中で、山王工業高校との試合と、選手の過去エピソードが混在する。これにより、苦しい試合の中の苦しさに耐える個々の原点が浮き彫りになる。
「キツくても…、心臓バクバクでも…、めいっぱい平気なフリをする」
このセリフが映画の中の最重要メッセージだ。これが宮城リョータと絡めて描かれているのは、彼が他人には平気な態度をとるからだ。映画中で、リョータが試合前にトイレで吐くシーンがあり、試合中の彼は「めいっぱい平気なフリを」していることを想起させる。すごく上手で練られた映画だ。
映画『THE FIRST SLAM DUNK』を観た。
これは、濁っていてザラザラした印象の映画だ。原作とは異なるストーリー展開をしているのに、原作の匂いは忠実に再現している。
試合前にトイレで吐くような心理状態でも、「キツくても…、心臓バクバクでも…、めいっぱい平気なフリをする」映画だ。
映画館に行くと、シールをもらえます。

言ってみれば、これはジャズを題材にしたワンピースだ。
映画「BLUE GIANT」を観た。ストーリーは単純明快。田舎から東京に出てきた若者が、世界一のサクソフォンプレーヤーになる映画だ。「海賊王にオレはなる」のルフィーと同じだ。
「オレは世界一のジャズプレーヤーになる」
ジャズに魅了され、テナーサックスを始めた仙台の高校生・宮本大(ミヤモトダイ)。
雨の日も風の日も、毎日たったひとりで何年も、河原でテナーサックスを吹き続けてきた。卒業を機にジャズのため、上京。
(中略)
楽譜も読めず、ジャズの知識もなかったが、ひたすらに、全力で吹いてきた大。幼い頃からジャズに全てを捧げてきた雪祈。初心者の玉田。
トリオの目標は、日本最高のジャズクラブ「So Blue」に出演し、日本のジャズシーンを変えること。
(映画公式サイトより)
すべてのお話は結局のところ成長物語だと言われるが、まさにこれは成長物語ど真ん中。
この映画の魅力は、作中流れるジャズ音楽だ。演奏者は皆一流。
映画を観に行くというよりも、ライブを観に行くつもりで楽しむのがお勧め。演奏がとても良い。
私は、サウンドトラックを買う予定
映画『かがみの孤城』を観ました。良い意味で予想を裏切られ、想像以上に面白かった。特にストーリーがよく練られています。原作は、辻村深月の同名小説『かがみの孤城』、本作は第15回本屋大賞を受賞していて、さらに売り上げ100万部を超えるベストセラー。
タイトルもよく練られていて、Wikipediaには以下のように書かれてます。
当初は「かがみの城」というタイトルにする予定だったものの、担当編集者が提案した「敵に囲まれて身動きが取れなくなっている城」を意味する「孤城」を名付けたという
作者の辻村深月は、本作が誰かの「城」のような居場所になればいいという思いを込めながら書いたと述べている。
つまり、「孤城」に込めた想いとは、『「敵に囲まれて身動きが取れなくなっている」居場所』ということ。
そして、この物語は、身動きができなくなった子供たちの居場所を舞台に、グリム童話の「狼と7匹の子山羊」を取り込んで進められる。途中までは「赤ずきん」をオマージュしたのかと思わせるところがあり、ストーリーを深くしています。
学校での居場所をなくし部屋に閉じこもっていた中学生のこころは、おとぎ話のようなお城に引き込まれ見ず知らずの中学生6人と出会う。お城には、どんな願いでも叶えてくれる鍵が隠されています。
7人は、本当に大切な願いがあるのか? その願いは、胸を張って他人に言えるものなのか?願いは、悩みの裏返し。願いが強いほどその裏にある悩みは深く暗い。それ故、7人は互いの願いを打ち明けられない。
最後に願いをかなえるのは誰か?その願いとは?悩みとは?ここに向かってストーリーは進む。
この映画の良かった点は、
映画『かがみの孤城』を観た。
ストーリーがよく練られていて面白い。取り入れられているオマージュ、ストーリ展開のキーとなるシーンがこっそり忍ばせている点、ストーリーがどう進んでも不自然にならない微妙な設定。
子供が見ると、単なるファンタージー映画で終わってしまうかもしれない。一方で、背景知識とストーリーの深読みをすると、とても面白い映画。
映画を観終わってからストーリーを反芻していると、多くの発見のある映画でした。
新海誠監督の新作映画「すずめの戸締り」を観てきました。
映画「君の名は」は、隕石が落ちてくる話だった。その次の「天気の子」は大雨による水害の話だった。では、こんどの「すずめの戸締り」は? と考えながら観ていると、地震の話だった。日本地震巡りという感じかな。
ストーリーに起伏が少なく、たぶんファスト映画で観てもつまらない印象を受けるんだろうなぁと思う。音楽に例えれば、印象的なサビが無い、そんな感じ。サビがなければ悪い音楽という訳ではない(例えばバラードではサビを弱くしていたりする)。それと同じで、起伏のないストーリの映画も悪い訳ではない。もっと全体的を俯瞰してどう感じるか?そういう映画なのだと思う。
災いを封じる要石が映画の中で出てくる。神様が要石となっていたのだが、解放された神様は、要石の役割をある人間に移してしまう。神様は要石としてのお役目から解放され、その人間が要石となって災いを封じることになる。
これって、ひどい話だと思わないかい?普通に暮らしていた人間が、石に変えられてしまうのだから。
要石の役割を受け持つのは、貧乏くじを引いたことになるのか?それとも、世界を災いから救う光栄ある名誉なのか?答えは、その両方なのだろう。みんなのために、誰かが人と違う役割を担う、そのことを周囲の人が称えてくれるか知らないままでいるのかの差でしかない。
学生から社会人になると、社会は不公平であることを実感するだろう。勝ち組と負け組を分けるのは、努力ではなくて運であることが論文でも示されている。
そんな社会の不公平さを、要石を通して示しているように感じる。
この映画の中で印象的な点は、芹沢朋也の前向きさと親切さと囚われのなさだ。主人公のすずめに対して、自らは何も与えようとはしないサラッとしない態度なのに、すずめが望めばかなりの無理をしてあげる。サラッとした親切。
このサラッとした親切を、映画の所々でみつけることができる。愛媛の海部千果とその家族、神戸の二ノ宮ルミなど。自らは押し付けない親切さを持っている。
こういう親切さを、実のところ日本人はあまり持っていないことが、社会学的にも知られている。日本人は、You and Weの文化だ。自分のコミュニティのメンバーに対しては空気を読み親切にするが、メンバー外に対しては冷淡だ(ちなみに、アメリカ人は見知らぬ人にもそれなりに親切にする)。
映画を通して、サラッとした親切に違和感を感じながらも、震災時に助け合う被災地の様子を思い出す。
最後に、忘れていけないのが、すずめの育ての親の岩戸環の言葉だ。映画後半で、岩戸環はすずめに「あんたなかんか引き取るんじゃなかった。姉さんのお金があったって釣り合わない。こぶ付きじゃ婚活だってうまくいかない」とひどい言葉をぶつける。かなりひどいこんな言葉を新海監督はなぜ言わせたのだろうか?
岩戸環はすずめに言う、「言ったことを思ったことがないとは言わない。でも、それだけじゃないのよ」と。このフレーズはとても印象的だった。人というのは、そういうものだからだ。善と悪が入り混じって人は生きている。あるときは善が表に出て、別のときは悪が前にでる。そういう複雑な人間を相手に人は生きていくということなのだろう。
さて、”『すずめの戸締り』企画書前文”にはこうある。
本件は、過疎化や災害により増え続ける日本の廃墟を舞台に、喪失の記憶を忘却した少女を、椅子に閉じ込められてしまった青年のそれぞれの解放と成長の旅を描く、劇場用アニメーション映画である。
(中略)
「自分が閉じ込められ不自由になってしまった」という感覚を大切に描きたい。「不自由な時代、不自由な場所(国)に閉じ込められている」という僕たちの生活感覚と、草太の境遇が響きあえば良いと思う。
つまり、もし君に不自由さを感じていてそこから抜け出せない感覚があるなら、椅子にされた草太の気持ちが分かるのかもしれませんね。
映画「ガリレオ 沈黙のパレード」を観てきた。
映画「ガリレオ」は前作の「真夏の方程式」が、青い海の美しい映像が印象的な映画だった。前々作の「容疑者Xの献身」はよく練られたストーリーに夢中になった。
今回の「沈黙のパレード」は、謎解きの伏線が少なくて、湯川の推理に唐突な印象がした。
そもそもこの手の映画のストーリーには2種類ある。犯人の目星がついているが、そのアリバイをどう崩していいのか分からない場合、もう一つはどうやって犯罪が行われたのか分からない場合。前者は、アリバイ崩しのためのヒントが映画の前半に描かれ、映画を見ている者も一緒に謎解きを行ない、どうしても分からない点を映画の中で湯川が明らかにするのを見て、ある種のカタルシスを感じる。後者は、容疑者ならではの知識などから犯行方法を推測していく。
今回の「沈黙のパレード」のストーリーでは、真犯人を巡ってどんでん返しがあるのだが、それが少し強引な印象だった。
一方で、刑事 草薙俊平を演じる北村一輝が熱演していて、見ごたえがある。犯罪の被害者は、犯人が正しく裁かれずに無罪となると、葛藤に押しつぶされる。その葛藤が新たな犯罪を生む。その連鎖の中で、刑事の感じる無力感、申し訳なさをよく演じている。
今回の「沈黙のパレード」は北村一輝に注目して見ると、楽しめると思う。
時間が空いたので、映画「ミニオンズ フィーバー」を観た。実は、あんまり期待していなかったのだけど、結構楽しめた。
ストーリーは割と単純だけど、それが小難しくなくて良い。「世界一の大悪党」なんていうシンプルなセリフがポンポン出てくるのも簡単で良い。
悪人を主人公にした映画だけあって、観ながらルパン三世を思い出す。悪人だけど、義理人情があるというところが似てるのかもね。
詐欺師3人組の活躍(?)を描く映画コンフィデンスマンJP。ロマンス編、プリンス編に続く3作目がこの英雄編だ。
今回は、登場人物それぞれの独立した視点でストーリーが描かれる。そのストーリー構成は伊坂幸太郎の小説にも似ている。伊坂幸太郎の小説と異なるのは、ストーリーを描く視点が変わるたびに少しづつ真実が明らかにされていくことだ。誰と誰がグルなのか、誰が悪い奴なのかと。
映像の作り方は、真実の一部を切り取りストーリーを観客に見せて、観客に嘘のストーリを真実と思わせる。これは3作を通して変わらない。ロマンス編では、モナコを欺くために演じた会話だけをまず観客に見せて、映画後半でモナコを欺くための相談シーンを観客に見せた。これと同じだ。
さて、私個人としては、この映画の観方を失敗したと思っている。私は、ストーリーに集中するあまり、映像への注意がおろそかになった。
映画を見ながら、「真実」が何なのか? ツチノコ(悪い奴)は誰なのか? 誰が誰をだましているのか?をずっと推理しながら観ていた。おかげで、映像に払う注意が下がっていた。それよりも、映像を十分に味わい、ストーリーの騙しに思い切り引っかかって、最後のどんでん返しに驚いたほうが、この映画の魅力を堪能できたように思う。
また、今回は元乃木坂46の生田絵梨花が出演している。これまでは元AKB48の前田敦子が出ていた。こういう流れを追うのも楽しい。