kotaの雑記帳

日々気になったことの忘備録として記していきます。



話題の再生産と、踊る芸能人、踊らされるネット民

 最近、芸能界ゴシップネタが騒がしい。SMAP解散の件や、ベッキーの件など。
「ネットのバカ」(中川淳一郎著)では、TV等のマスメディアとネットメディアで儲けの構造が似ていると書かれている。マスメディアで有名になった芸能人が、ブログやtwitterでページビューを稼ぎ、広告収入を得る。その裏には、芸能人の話題をネットに書き込む無邪気な一般人がおり、彼らが芸能界を支えている。
 今回の芸能界ゴシップネタを見ていると、儲けの構造が出来上がっているように思える。その構造とは、話題の再生産と拡散とのポジティブフィードバックである。
まず週刊誌・スポーツ新聞がゴシップネタを発信する。“SMAP解散の危機”といったすっぱ抜きが行われる。Yahooニュースがこれを拡散し、一般大衆がこれをtwitterやLINEでさらに拡散する。
 ネット上にある一般人の発言を材料に、週刊誌・スポーツ新聞・TVが新たな材料を提供する。解散の原因は事務所のマネージャに有るとか。再びこれをYahooニュースが拡散し、これに対してネット上の一般人がまた発言する。これを材料に、またまた週刊誌・スポーツ新聞・TVが新たな材料を提供する。以後この繰り返し。
 ネットを材料に、マスコミは話題を再生産する。再生産された話題を使って材料を提供するネットの一般人。将来のネットでは、キュレーションが大事と言われたことがある。そのキュレーションを行うキュレーターは、マスコミである。
「ネットのバカ」に書かれていない、「ネットのバカ」と同質の構造が見て取れる。芸能人を使って一般人のアテンションを集める。その舞台が“マスメディア”から“マスメディア+ネット”に広がった。どちらの舞台でも踊っているのは芸能人で、踊らされているのは一般人である。

SMAPの解散と芸能事務所の影響力

 SMAPが解散しそうです。SMAPを担当していたマネージャが、SMAPを連れて事務所を辞めようとした、これが原因と言われています。SMAPのマネージャがジャニーズ事務所の副社長と仲が悪いとかいう噂も流れていますが、これは横に置いときます。
 SMAPジャニーズ事務所を辞める、もっと一般化して言えば、芸能人が所属事務所を辞めることは、なぜイケナイことなのでしょうか?
 事務所側の言い分があります。芸能人には売れる前の初期投資(芸能人にレッスンさせたり、芸能人を各種メデイァで宣伝する宣伝費)が必要であるため、売れるように芸能人が事務所を離れるのはイケナイことのようです。韓国の女性グループwikipedia:少女時代のメンバーであったジェシカが事務所を辞めるときも、彼女への先行投資が問題として挙がっていました。
 こういった芸能人は所属事務所を離れてはイケナイ。イケナイことをした芸能人を干してやるといった芸能界特有の構造については、「芸能人はなぜ干されるのか?」に詳しいです。
 芸能界も、プロ野球のようなFA制度(事務所に一定期間所属した芸能人は、金銭により別事務所を移籍できる)を導入してはどうでしょうね。事務所を移籍するからって、SMAPが解散しなくても良くなるといいなぁと思っています。

趣味はブログ

 私は、趣味でこのブログを書いています。
 趣味としてブログを書くというのは、実は難しかったりします。ブログにはたくさんのKPIがあるためです。例えば、PV(ページビュー)はブログ記事の価値を測る一般的なKPIです。また、はてなブックマークはてなスターは、はてな独自に用意されたKPIです。KPIを設置されると、これを上げたくなるのが人情で、つい読者の気を引くブログを書く誘惑にかられます(できるかどうかはおいといて)。
 職業としてブログを書く人は、KPIを意識して良いんです。でも、趣味でブログを書くのにKPIを意識すると楽しくないんです。人の目を気にして良い子になれという圧力があって。
 「長いです。ついさっき、イケダハヤトって人について書いた記事を読んでたんすけどね。」という記事を読みました。たぶんコンビニ店長が書いたのでしょうね。この部分を読んでいて、趣味でブログを書くってこういうことなんだようなぁっと、共感しました。

考えてみると、俺は常におすそわけの原理で動いていた気がします。たとえばカレー作った。なんかおいしくできた。じゃあ隣にも分けてあげよう。やっべー俺の作ったカレー超うめえっすよ。でも隣の人がカレー好きじゃなかったらおすそわけしない。インターネットのすばらしさは、俺にとっては「俺の作ったカレーここにあり!」「俺は超うまいと思うからカレー好きな人は食え!」「でも俺の好みで作ったから好みにあわない人ごめんね」「そのかわり無料」っていうところです。

かといって日本全国のカレー好きの人に俺のすばらしいカレーを届けるための努力をするほどではないのです。だから別に有名になる必要はなかった。それに俺には「今日はカレーを作ろう」「いや、気分的に今日はうどん」という自由がありました。その自由を捨てる気はなかったのです。カレー職人になりカレーで金をとるためには、三度のメシよりカレーが好きであり、魂がカレーでできている必要があります。それでいえば俺は「料理が好き」なだけであり、だれかがおいしいといってくれればそれで満足だったのです。もっといえば「おいしいといってくれる可能性がある」だけで満足だった。


 上の記事をみつけたのは、「コンビニ店長、私はあなたとブログ交流を続けたかった。しかし、それは難しいのようですね。 」(シロクマの屑籠)を読んだからでした。ありがとう、シロクマさん。

貧困の悪循環を断ち切る

2007年の東京大学の学生調査によると、東京大学生の親の年収950万円以上の割合は52.3%を占めている。

wikipedia:貧困の悪循環より

 政治家(特に野党)が、経済格差の拡大の問題を、声に大にして訴えていた時期がありました。そのときに良く引用されたのが上の調査結果です。この調査結果をもとに、貧困世帯には金銭的な補助が必要だと訴えていました。
 これっておかしいんです。
 次の調査結果を見て下さい。

 約7000人の現役東大生を取りまとめ、家庭教師紹介事業を展開する、東大家庭教師友の会による1冊の本があります。タイトルは『頭のいい子が育つ習い事』(角川書店)。現役東大生に習い事について聞いたアンケートやヒアリング調査をまとめたこの本に、ある驚くべきデータが紹介されていました。それが「東大生の2人に1人はピアノを習っていた」というものです。

東大生の2人に1人は「ピアノ」を習っていた!」(日経DUALより)
 この調査結果は、ピアノを習えば東大に入れる、と言っているように見えます。普通の人は、そんな馬鹿な!といって笑い飛ばすでしょう。
 一般に、ピアノを習っていたこととと東大生入学との間に相関関係があるからといっても、ピアノを習うことが東大入学に大きな影響を与えるとは言えません。例えば、教育熱心な親の子供は東大に入学する割合が高く、また教育熱心な親ほど子供にピアノを習わせるということも考えられます。
 ピアノの例と同様に、世帯の収入と東大入学との間に相関関係があるからといって、世帯に金銭的な補助を与えても東大入学するとは限りません。昨日、「貧困対策とは、魚の釣り方を教えること。でも、どうやって教えればいいんだ?」で書いた通り、実際のところ貧困世帯に金銭的な補助をしても、学歴を身につけると言う点では効果は無いようです。
 
 貧困の悪循環を断ち切るというのは、難しいのです。それは、何をすれば良いかが分からないためです。金を出せば済むという簡単な話ではないのです。

貧困対策とは、魚の釣り方を教えること。でも、どうやって教えればいいんだ?

 「所得低いほど高い喫煙率、歯少なく肥満者多い」(Yahooニュース)

 低所得層では健診を未受診の人の割合が男性で42%、女性で40%と、高所得層のそれぞれ16%、30%よりも高かった。習慣的に喫煙する人の割合も男性で35%、女性で15%と、高所得層のそれぞれ29%、5%を上回った。さらに歯が20本未満の人や肥満者の割合も、低所得層は男女ともに高い傾向があった。

 
 低所得者について、補助が必要だとか、貧困の連鎖を断ち切るだとか、色んなことが言われている。しかし、このニュースは、その手の低所得者対策が、効果が無いことを示す。
 低所得者は、肥満が多い。では、低所得者に年間100万円を与えたら、肥満は解消されるだろうか?答えは否だろう。低所得であることが、肥満の原因ではないからだ。もちろん肥満が低所得の原因でもない。低所得の原因はもっと別の所にある。
 「クルーグマン教授の経済入門」(筑摩書房)は、ノーベル経済学者のクルーグマンが記した経済の本だ。経済学的に、つまり統計的には、低所得者に金銭的な援助をしても、何も起こらないことが分かっている。援助された金を使って、商売を始めるとか、勉強するとか、貧困から抜け出す活動は殆ど起こらない。これが何故なのか、実は誰にもわかっていない。
 貧困対策とは、なんだろう? 低所得者に金を配ることだろうか? 
 経済学あるいは政策問題としての貧困対策とは、低所得者が貧困を抜け出し、低所得者の数を減らすことだ。例え話でいうなら、空腹で倒れている人に、魚を釣って与えるのではなく、魚の釣り方を教えてあげる。これが貧困対策だ。ところが、どうすると、低所得者が減るのか誰にもわかっていないのだ。

クルーグマン教授の経済入門 (ちくま学芸文庫)

クルーグマン教授の経済入門 (ちくま学芸文庫)

TPPは何をもたらすか、その狙い

 TPPを日本語で書くとwikipedia:環太平洋戦略的経済連携協定となり、とても難しい。日本語表記の難しさは置いといて、その中身は簡単。日本・オーストラリア・アメリカなどの太平洋に面した国で貿易を活発にしましょうというもの。下の図を見ると、太平洋に面した国々で議論していることが分かりやすい。

(「TPP(環太平洋パートナーシップ)協定交渉への参加」首相官邸ホームページより(2015年10月7日現在*1

 上の図をよく見ていると、2つの疑問が浮かんでくる。
 一つ目は、なぜ太平洋に面した国だけなのか? 飛行機が普通に飛んでいるのだから、モンゴルとかラオスとか内陸の国も参加しててもよさそうなものなのに。
 この疑問から考えると、貿易という観点では主役は船であることが想像できる。大量に物を運ぶためには、やっぱり船が主役なのだ。
 二つ目の疑問は、TPPに中国・ロシアが入っていないのか? どちらも輸出大国である。アメリカはなぜこの2国を外したのか。考え過ぎかもしれないが、TPPは、太平洋諸国による軍事同盟に向けての布石だと感じる。
 NATO(wikipedia:北大西洋条約機構)は、北大西洋諸国の軍事同盟である。これと同様のものを太平洋諸国にも作っていこうという意図が感じられる。その設立は、第1段階は、太平洋沿岸諸国による貿易・経済圏をつくる。第2段階は、敵国を設定し、この経済圏が脅かされているという状況を作り上げる。最終段階で、この脅威に対抗するためには、太平洋沿岸諸国による軍事同盟を設立する。
 
 さらに、最近成立した安保法案をあわせて考えると一層興味深い。安保法案については「安保法案とは、そもそも何? わかりやすく解説【今さら聞けない】」を読んでほしい。ポイントは、日本が武力行使できる機会を次のように広げたこと。

「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること」

 TPPを軍事同盟に発展させようとしたとき、日本がその軍事同盟に参加するためには安保法案は必須である。太平洋諸国間の貿易が脅かされる事態になったとき、TPP加盟国は一体となってその事態に立ち向かう、そんな軍事同盟をつくることを考える。安保法案がなければ、日本は直接的な攻撃を受けなければ反撃できない。そんな国を軍事同盟にいれても、迫力ある同盟ができないのだ。

 「地政学入門」(中公新書)を読みながらTPPの上の図を見ていたら、これは軍事同盟だと直感する。地政学は日本ではマイナーな学問であり、TPPを軍事同盟とつなげるのは荒唐無稽に思われるかもしれない。しかしながら、大切なことは、欧米各国や中国・ロシアの政治家は、地政学的にこのような視点でTPPを見ているということだ。

まとめ

 TPPは太平洋沿岸諸国の貿易協定である。しかしながら、これは軍事同盟に発展する可能性が大いにある。その軍事同盟設立の布石として安保法案が必要であった、と考えられる。

 

2500億円は高いか、安いか

 2020年東京オリンピックの新国立競技場の建設が揺れている。

  1. オリンピック開催地が東京に決まる前は、総工費を1300億円と見積もっていた。
  2. ところが、オリンピック開催地が東京に決まると、総工費は3000億円との試算が出た。
  3. それは高すぎるだろうと、設計をマイナーチェンジして総工費1625億円に抑えることにした。
  4. しかし、そのマイナーチェンジ後の設計でも総工費は2520億円となると試算が出た。

 つまり、設計を通すために総工費の見積もりを安く出した、と疑われているわけだ。これだけグダグダな見積もり変更をし続ければ、それも当然。
 
 そこで、新国立競技場の設計が白紙に戻った。
安倍首相、新国立競技場建設計画をゼロベースで見直す考え表明」(YAHOOニュース)
 

 設計を白紙に戻された側のボス、東京オリンピックパラリンピック組織委員会の会長・森さん(この人は昔総理大臣だったこともある)が不満を言った。
森元総理「国がたった2500億円出せなかったのかね」』(YAHOOニュース)

 新国立競技場の建設計画見直しを受け、東京オリンピックパラリンピック組織委員会の会長・森元総理大臣がコメントしました。
 森喜朗元総理大臣:「ああいう、でかいものやったことないんだよ。スーパーゼネコンと話し合うような行為をしたことないわけですよ。JSCだけじゃないですよ、文科省もそうですよ。国がたった2500億円も出せなかったのかねっていう、そういう不満はある。何を基準に『高い』と言うんだね。皆、『高い、高い』と言うけれど」.

 この森さんの、"何を基準に『高い』と言うんだね。皆、『高い、高い』と言うけれど」."に応えるならば、当初見積もりの1300億円と比べて2500億円は高いと、皆言っているのだ。その上、見積もりがグダグダだった経緯を考えれば、この2500億円も後でもっと増えていくんだろうと、疑われる。

Googleのネットワークはスケールアウトだって!?

「10年前からスイッチを自作」、Googleが“公然の秘密”をついに公表」(ITPro)
 この記事は、Open Networking Summit 2015(2015年6月14日〜18日@米カリフォルニア)のGoogle Fellow Amin Vahdtの基調講演の説明です。講演の内容はYoutubeでみることができます。

 ITProの記事で気になったのは、ネットワークをスケールアウトできているかのような記述があることです。

ネットワークも「スケールアウト」

 ネットワークをスケールアウトできるのかな? 私の認識では、ネットワークは端末数の二乗のハードウエアコストが必要です。そのため、ネットワークのスケールアウトはできないと思っています。
 Youtubeで講演を聞いてみると、少数のコアルータを置くのではなく多数のルータに分散している(decentralized)ことを、スケールアウトと呼んでいるようです。本当の意味でスケールアウトと言っているわけではなく、Open Network Summitらしくネットワークコントローラも含めて分散していることをスケールアウトと表現しているのでしょう。

ギリシャ問題って結構詰んでいる

 ギリシャの借金問題に、世界が困っている。みんな困っている。

何が問題なのか?

 そもそも何が問題かというと、ギリシャが借金を返せないことだ。
 ギリシャという国にお金を貸している組織は、2つだ。一つ目はIMF(wikipedia:国際通貨基金)。お金に困っている国にお金を貸す世界レベルの団体だ。日本の税金もIMFを通じてギリシャに貸し付けられている。二つ目はECB(wikipedia:欧州中央銀行)。お金に困っているヨーロッパの国に、お金を貸す団体だ。IMFとの違いは、IMFが世界レベルであるのに対して、ECBはヨーロッパ内の国に対してただけお金を貸すことだ。
 ギリシャは、これらIMFとECBから借りたお金を返せなくなっている。これが問題。
 日本で個人が借金をするときに、担保が必要になる。つまり、お金を返せなくなったとき、担保を差し押さえて借金の返済に充てる仕組みだ。
 ところが、国の借金には担保が無い場合が多い。ギリシャの借金も担保がなく、お金を貸した側は貸し損になるわけだ。

ギリシャは借金を踏み倒せば、いいんじゃない?

 担保が無いんだから、ギリシャは借金を踏み倒せばいい。話は、それほど単純ではない。
 ギリシャが借金を踏み倒すと、それ以降、だれもギリシャにお金を貸してくれなくなる。これがギリシャが借金を踏み倒せない理由だ。
 ギリシャは、例えば2014年12月には112億ユーロ(1.5兆円)をECBから借りている(「ギリシャの銀行、12月にECBからの借り入れが大幅増加」(ロイター))。こういう日々の借金ができなくなると、困るわけだ。

なぜ世界はギリシャに冷たいか?

 ドイツをはじめとするユーロの他の国は、ギリシャに緊縮政策を求めている。つまり、節約してお金を貯めて欲しいとギリシャにお願いしているわけだ。これに対して、ギリシャは求められるほどの節約はしたくないと言っている。
 ギリシャはどこまで節約生活をすべきか? これがいまのギリシャ問題の焦点だ。
 NHKクローズアップ現代によれば、ギリシャ国民の年金は1か月50万円給付されていたり、国民の5人の1人が公務員となって国から給与としてもらっていたりしたそうだ。つまり、借金をして国民に金を渡していたということだ。
 こんな実態を知ったら、お金を貸している方も、「ギリシャ節約生活しろよ」と言いたくなるのももっともだ。

なぜ世界はギリシャに暖かいのか?

 上で書いたように、「ギリシャ節約生活しろよ」とユーロ各国は思っている。それに対して、ギリシャは「無理」と言っているわけだ。それなら、お金の貸し手の各国はギリシャを見捨ててもよさそうだ。それなのに、何故ギリシャの「金は返せない」「節約生活はイヤ」に付き合っているのだろうか?
 ヨーロッパ各国は、ユーロと言う共同体を作った。この共同体の枠組みが壊れることを恐れている。アメリカや中国に対抗するために、ユーロという共同体を作った。ギリシャをいじめすぎて、ギリシャがユーロから抜けると、ユーロ共同体壊れて、アメリカや中国への対抗力が弱くなることを心配している。
 言ってしまえば、学生が仲良しグループを作っているようなものだ。グループ内に問題児がいて、いじめていいる。一方、問題児をいじめすぎて、問題児がグループを抜けて、グループの力が弱くなるのを心配する。そんな構図だ。

まとめ

 ギリシャ問題とは、グループ内の問題児をどうするかと言う問題だ。
 貸した金を返さない問題児ギリシャに対して、節約生活を求めるユーロ各国。それに対して、「無理」と開き直るギリシャ。 その問題児をどこまでいじめて良いか力加減を探るユーロ各国。そういう問題だ。
 問題が起きた時、相手が開き直ったときほど、問題解決が難しいものはない。そういう意味で、ギリシャ問題は結構詰んでいる。

その後

2015年7月6日

 EUなどから要求されている緊縮財政策を受け入れるか否かを、ギリシャ国民投票にかけた。その結果は、ノー。緊縮財政策をギリシャ国民は拒否した。
<ギリシャ>チプラス首相が勝利宣言 反対派、大きくリード」(ヤフーニュース)

欧州連合(EU)などから金融支援の条件として要求されている財政再建策への賛否を問うギリシャ国民投票で、同国のチプラス首相は5日夜(日本時間6日朝)、「ギリシャは歴史的なページを開いた」と述べ、反対派の勝利を宣言した。

 借金が返せない時に節約は嫌だというギリシャの主張は日本人の感覚からすると、ちょっと理解できません。面白いものだ。
 
 今後、ギリシャがどう進むかについて考えてみる。問題の構図は以下だ。

  • EU側:借金返せ、返せないなら節約生活をしろ
  • ギリシャ側:借金は返せない、節約生活はイヤだ

また、ギリシャは新たな借金失くしては国がやっていけない状況だ。

 EU側がギリシャに追加融資する額・利息などの条件と、ギリシャがそれを返済できるという根拠づくりとを、どう折り合いをつけるかという点での話し合いになる。
 しかし、もともとギリシャが負債を隠していたことが問題の発端であることを思うと、ギリシャが借金を返済できるといくら言ってもそれを信じさせるのは難しい。 このどうやって借金を返せますとギリシャが言うかが、ポイントだ。

2015年7月11日

 ギリシャが財政改革案をEU側に提出した。その財政改革案は、EU側が求めていた緊縮財政案とほぼ同じでした。こうなってくると、ギリシャEU側の論点が分かりづらく、各種メディアでもそもそも論点が何なのか報じられていない。
 もともとEU側が緊縮財政を求めた理由は、ギリシャが借金返済をできないためその返済条件を緩める(返済日を遅らせるとか、利率と下げるとか)ための要求でした。それに対して、今回ギリシャは財政改革案としてEU側の要求を呑む代わりに、返済条件緩和に加えて追加借金を求めた。
 日常会話に例えると

  • EU側:借金返せ、返せないなら、少し待ってやるから節約生活をしろ
  • ギリシャ:少し待ってくれるの? 節約生活するから借金返済待って、ついでにお金をもっと貸して

 まるで、ダメな男が女に金をせびるような態度だ。こういうとき”本当に返せるの?”、”信用できないなぁ”と言いたくなるのが普通の態度だろう。ドイツのメルケル首相も以下のように言っている。

ドイツのメルケル首相は「ギリシャの経済的状況、さらにこの数カ月での悪化を考慮しつつ、信用と信頼性という面で失われたものを考えると、事態は極めて厳しい」と記者団に述べた。

ギリシャに72時間猶予、信頼回復か離脱か欧州は最終決着迫る」(Bloomberg)
 

AKB48にみるバイラルマーケティングの光と闇

『【オリコン上半期】AKB48、史上初の5年連続TOP2独占 ミリオン記録は歴代1位に

 いまさらCDの売り上げランキングが注目されるニュースではないとは思う。しかし、その一位がプがAKB48の「僕たちは戦わない」で、それはいわゆる総選挙の投票権利を得るために売られていたCDであることが面白い。

そして第7回選抜総選挙開催!!

タイトルは「僕たちは戦わない」!

【期間限定封入特典】「AKB48 41stシングル 選抜総選挙」投票シリアルナンバーカード1枚 (初回・通常共通)

■ 各初回盤:イベント参加券封入(開催会場、開催日は未定)
■ 各通常盤:生写真1種ランダム封入

(http://www.hmv.co.jp/fl/167/398/1/ より)

 総選挙の投票権利としてCDを売るという商法の是非はともかく、何故CDなのかが気になった。
 つまり、投票権利であれば、写真やシャープペン、Tシャツ等のグッズでも良いであろう。別にCDと投票権利をセットにする必要はない。いろいろな選択肢があるなかで、なぜCDなのか?
 想像だけれど、プロデューサ秋元康氏は、総選挙が終わった後にファンが余ったCDを、友人知人にプレゼントすることを期待したのではないだろうか。これにより、AKB48に興味のない人間にもCDが広まり、マーケテイング効果が期待できる。バイラルマーケティングとしての効果を狙えるということだ。
 
 結果は、『【これはひどい】AKB48のCDが投票権だけ抜かれて大量に捨てられている 』(NAVERまとめ)のように、配りきれないCDが破棄される事例も出てきている。
 もっと、配りやすいグッズと投票権利がセットになっていれば、バイラルマーケティングの効果も高まるかもしれない。

バターが足りない その本当の理由

 バターが品薄です(例えば「バター品薄 慢性化の懸念」(読売オンライン))。スーパーに行っても品切れ。値段も高い。
 この件に関して、農林水産省のQ&Aのページが面白い。

Q 1. なぜバターが不足したのですか。

A1. 平成25年の猛暑の影響で乳牛に乳房炎等が多く発生したことや、酪農家の離農等で乳牛頭数が減少していることなどにより、生乳(=搾ったままの牛の乳)の生産量が減少したため、バターの生産量が減少し在庫量が大きく減少しました。

バターの在庫量が減少したため、乳業メーカー等は、安定的な供給を続けられるような出荷量に抑制したことや、供給不安等を背景として家庭用バターを中心に購入量が増加したこと(PDF:248KB)等から、店頭のバターが品薄になったものと考えられます。

 一見正しいことが書いてあるように見えます。しかし、重要なことが隠されています。つまり、「なぜバターを輸入しないのですか?」という質問は、このQ&Aには無いのです。
 バターを、国内で十分生産できないのであれば、輸入すれば良い。普通は、こう思うでしょう。
しかし、バターの輸入に前向きでない理由について誰も語りません。なぜでしょう?
 日経新聞 (2015年6月10日)の記事「賞味期限切れの貿易規制 --- バター品薄で菓子店、調達に苦慮 原料不足が慢性化・外国品高止まり」に理由が書いてありました。

国産がなければ輸入するしかないが、国は国家貿易の対象として規制している。1993年のガット・ウルグアイラウンド貿易交渉で、日本は統制を守る代わりに最低輸入量の受け入れで妥結した。当時は国産バターが余り、現在とは逆に生乳を減産していた。

 20年余りが経過し国内酪農が衰退した今は、需給環境が大きく異なる。

 バターの輸入には1キロあたり千円弱に加え、約30%の高関税がかかる。関税を引き下げれば、需給に基づき民間が輸入しやすくなるが、政府はこれまでの枠組みを守り続ける。国内の酪農を守るというのが理由だが、こうした貿易規制にもかかわらず国内の酪農は衰退が続いている。

 何てことだ!酪農農家を守る為、国はバターの輸入を制限しています。だから、バターが足りなくても輸入が難しい、ということなのです。
 こういうのを知ると、関税を無くそうというTPPの動きがまともに見えてきます。

国産ロボットがグーグルに買われると嘆く、島国根性

イノベーションの最前線東大発ベンチャー・シャフト元CFO激白世界一の国産ロボットはなぜグーグルに買われたのか「支援する枠組みは行政に無い」――日本からジョブズが出現しないのはなぜか文芸春秋)

 タイトルに「世界」「国産」「行政」とあることから、国産の良い企業が米国のGoogleに買われる、行政がそれを防ぐと良いのに、、という記事にこれは思える。
 記事の中身を読んで、それは勘違いだと分かる。

 ルービンと初めて出会ってから四時間半後――。彼が顔を真っ赤にして言いました。

「本当に素晴らしい技術だ。君たちが出資を受けたいなら、それを実現することは可能だろう。だが、ヒト型ロボットの産業を本気で立ち上げようと思ったら、君たちだけの力では足りないと思う。世界中から天才を集め、ドリームチームを作って一緒に世界を変えないか。君たちに会社を売るという選択肢があるのなら、我々はそれに応じる準備がある」

 それはグーグルによるシャフトのバイ・アウト(買収)の提案でした。

 グーグルは米国のために動いていないのだ。グーグルは、「世界」を変えるために「世界」から天才を集めた「世界」レベルのドリームチームを作りたい、と言っている。こういう規模で考えるグーグルに、文芸春秋は米国 vs 国産という構図で問題を捉えている。島国根性というのだろうか。

今年の就職活動の分析

 昨年までの就職活動は、過酷だった。
 デフレによる不景気のため、企業は採用人数を絞ったため、学生はなかなか就職内定をもらうことができなかった。また、就職活動の早期化により、大学3年生から会社の採用面接をスタートし、内定をもらえるまで数十社の面接を受け続け、結果一年近く就職活動を行う学生もいた。
 学生が就職活動に夢中になり学業に打ち込めないのは、いかがなものかという世論もあり、今年からは、採用試験は8月1日からと昨年よりも4か月後ろ倒しになった。学生の就職活動期間を短くすることが狙いだ。
 ところが、景気が回復したこともあり、今年は企業の求人数が多い。

来年の春に卒業する大学生と高校生などを対象にした大手企業の採用計画は、円安で業績が好調な製造業を中心に、採用人数を増やす傾向にあり、生産体制の強化や事業の拡大に向けた動きが鮮明になっています。

(NHK NewsWeb)
 
 採用試験の開始時期を後ろ倒しにした背景には、企業の求人数の少なさがあったのに、その前提が変わってしまっている。
 もし、昨年までのように4月1日から採用試験が開始されていれば、学生は例えば5月と言った早期に就職の内定が出て、残りの学生生活をエンジョイすることができたかもしれない。しかし、今年の採用試験は8月1日スタートである。しかも、企業の新卒採用意欲は高い。8月1日に準備の整っている学生から内定が出ることは誰しも予想する。つまり、採用試験前の競争が水面下で激しくなると考えられる。
 8月1日までに何をしておくか、学生にとっては気になる時間が伸びたことになりはしないだろうか。

フランスで起きたテロに思う

フランスのパリにある新聞社への襲撃事件以来相次いだ一連のテロ事件で、殺害された容疑者の1人が、国際テロ組織アルカイダ系の中東イエメンの組織と強いつながりがあったとみられており、捜査当局は、資金面など具体的にどのような支援を受けていたのかを中心に、捜査を進めることにしています。

(「仏テロアルカイダ系組織とのつながり操作」(NHKニュース))

今回のテロは、イスラム国かと思ったのですがアルカイダのようです。
 
 イスラム系のテロの話はわかりづらいので、まず整理をしましょう。最近、ニュースでよく取り上げられる組織は3つ

タリバンは、アフガニスタンで活動する組織で、アフガニスタン人の難民がパキスタンで教育されたと言われています。アルカイダは、米国の貿易センタービルにジャンボジェット機で突っ込むというテロを実行した人たちで、まとまった組織というより世界的なネットワークを作っている集団と言われています。最後のイスラム国は、シリアとイラクで活動しています。

最近、ニュースでよく見るのはイスラム国です。ネットやSNSを活用して世界から戦闘員や支持者を集めている。イスラム国に感化されたカナダ人の青年が、カナダの国会議事堂で銃撃した。カナダがシリアのイスラム国の空爆を行うことに対する報復である(例えば、『「社説:カナダ銃撃 イスラム国」の幻想砕け』(毎日新聞))。また、オーストラリアのシドニーでの立てこもり事件も、イスラム国に感化された人間の可能性がある(例えば、『イスラム過激思想の「一匹おおかみ」に脅威 米国』(産経ニュース))。こうしてみると、イスラム国は、シリア・イラクでの活動を中心とし、その活動を邪魔する国に関しては、その国でテロを起こすという動きに見える。
 
 一方、アルカイダは、広域にネットワークを持っているだけあって、広域に散発するテロがアルカイダを名乗る場合が多い様です。

 イスラム教徒が皆テロに加担しているわけではなく、一部の人間がテロ活動をしているのですが、イスラム教およびそれに関する民族や国家に関する知識が足りないように思います。そのため、ニュースを表面上の理解はできても、”なにか怖い”以上の実感が得られない、そんな状況だと思います。「イスラム」という言葉で思考停止しないために、もう少し知識を手に入れたいと思います。

不自由なネットとDragon Night

 「最近、ブログが不自由になってきたと思いませんか?」(orangestartの雑記)が興味深い。
 

要旨

自分なりに要旨をまとめる。

"不自由"とは何か?

 自分だけの意見を述べることが難しいこと、それを”不自由”と表現している。
 なぜ、それが難しいかと言えば、disる人間がいるためである。disる人間は、そうするコストの低さと「一般論」としての正しさを持っている。

“自分だけの意見”をいうリスクが発生した。

そしてそれは自分の意見だから、自分のコアに直接接続されていて、それをdisられると結構ダメージでかい。(そしてインターネットの仕組み上、disる人間のコストは限りなく低くなる)だから、みんな一般論しか言わなくなる。不自由。60億人が思う、“普通はこうだろうという”意見、そういうものは誰にも非難されにくいし、そして正しい。

 

なぜdisる人間のコストは低いのか?

根拠地をネット上に持たない人間、例えばスマホからネット上のブログをただ見るだけの人、あるいはtwitterの捨てアカウントを使う人は、自分自身に反論されるリスクがない。さらに、「一般論」としての正しさを言うならば、反論されようがない。

昔は、インターネットをする人=サイト持ち(サイトをもたないまでも、なにがしかの根拠地を持ってた)人が多かったけれども、今はスマホからも何からも、ただ見る、ということだけの人がだいぶ増えたように思う。

 
 

思うこと

 上のブログを読んで、”プライベート”<”パブリック”<”匿名コメンテーター” という不等式が思い浮かんだ。
 昔のインターネットは、匿名ではあったのだがプライベートな空間で、気の合う仲間だけで意見を交換していた。それが、スマホによりネットの参加者が増えたことにより、パブリックな空間になった。「ネットのバカ」(新潮新書)で著者の中川さんが言うように、ネットは、パブリックでなだけでなくマスメディアとして性格が強まっている。そして、ネットを”ただ見る”人は、匿名コメンテーターとして”一般的"に正しいコメントを発信する。
 匿名コメンテーターの行く先は、人気ブログである。それがdisられるかdisられないかは、”一般論”次第だ。芸能人ブログのように、TVで”一般論”のできあがったブログは、disられづらい。そして、匿名コメンテーターのコメントを肥やしにそのブログが伸びる。「ネットのバカ」に書かれていることが、加速していく。
 
 

最後に

SEKAI NO OWARIの歌 Dragon Night の歌詞を抜粋します。
『それぞれの「正義」』を持ちつつ、友達のように歌いたいものだと。

今宵は百万年に一度代用が沈んで夜が訪れる日
終わりの来ないような戦いも今宵は休戦して祝杯をあげる

人はそれぞれ「正義」があって、争い合うのは仕方ないのかもしれない
だけど僕の嫌いな「彼」も彼なりの理由があると思うんだ

ドラゴンナイト 今宵、僕たちは友達のように歌うだろう

ネットのバカ (新潮新書)

ネットのバカ (新潮新書)

Dragon Night (通常盤)

Dragon Night (通常盤)